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花時雨 出会いのはじまり
大人になれば、不思議なことや可解なことに科学的根拠が見付かり、怪奇など無くなると思っていた。しかし、実際は。大多数の大人は、都合の悪い「現実」を見ないフリしているだけだと気付いてしまった。
夜の桜、月に照らされ妖しくも美しい花弁。昼とは違う、冷たい風。揺れる枝先に綻ぶ桃色。その枝先には、しっとりと雨が染み込んでいる。また、いつ雨が振りだすかもわからない。公園のベンチに1人、男は腰掛けていた。
「はぁ、あと3日か…」
焦りを滲ます声とは裏腹に、瞼はシャッターの様に、桜を脳裏に焼き付かせて行く。途方に暮れそうな心を、どうにか繋ぎ止めるのは、右手に握ったスマートフォン。相変わらず、望んだ通知は流してはくれないが、自分が存在していることをギリギリのところで証明してくれている。
「おにいちゃん、どうしたの?」
「うわ!?」
突然かけられた声に、思わず大きな声が出てしまった。横を向くと、いつの間にか小学生高学年くらいの女の子が1つ隣のベンチに座っていた。
「こんな時間に、ずーっと一人で。おにいちゃん何してるの?」
「それは、こっちの台詞だよ。こんな時間に1人じゃ危ないよ…」
一応、時間を確認すると、21:13。子供が一人で出歩いて良い時間ではない。近くに大人の姿は、と確認するが、どうやら俺達以外、人影は見えない。少女がすっと立ち上がり、俺のいるベンチに近寄る。桜を照らす電灯が、彼女の輪郭をぼんやりと浮き上がらせる。
「隣、いい?」
「…どうぞ。」
少し、間を開けてしまったのは、彼女がこの世のモノではない可能性を想い描いてしまったからだ。そして、すぐその考えを冷静な頭が否定する。そう、一瞬思えてしまうほど、彼女には浮世離れした「美しさ」があった。
「私ね、時々息苦しくて出てきちゃうの。」
「どこから?」
「あそこ。」
彼女が指差すのは一際美しい一本の大木。ふわり、と笑った顔が愛くるしく、其が酷く自然で恐ろしく不自然だった。月に透け、柔く発光する花々。まるで、1つの生物のようで。ぞわっと、込み上げる感情を、見透かしたように、彼女は声を出して笑った。
「あははは、ごめんごめん。そんなに怖がらないでよ。あの、木の後ろのアパートだよ。」
「なんだ、よかった…」
「でも、たしかにね。」
彼女は声を続ける。ーこの桜の下には、きっと死体が埋まっているね。そうでなければこんなに綺麗に咲く筈ないもの。ー…なんて溢した少女は、どこか寂しい目をしていた。
「で?」
「ん?」
「おにいちゃんは何でここにいるの?」
先程までの大人びた様子とはうって変わりあまりにキラキラした瞳で訪ねるものだから、かわす術も見つからず、諦めて口を開く。
「昔さ、桜の花弁を地面に着く前に掴めれば願いが叶うって本気で信じてたんだ。」
ベンチに座りながらも、空に伸ばした腕は何にも触れず、ただ宙を掻く。
「へぇー、」
下から一生懸命見上げてくる瞳が、俺の手に視線を移す。
「今は、信じてないの?」
引き寄せた手をゆっくりと開いてみても、やはり中には何もない。子供の頃の、はしゃいだ姿を思い出す。後少しでふわりと逃げる。期待に胸を膨らませ、開いた手の喪失。勢いをつけて、手を伸ばせば伸ばすほど遠退いていく。いつの間にか、落胆よりも大きくなった諦め。
「俺も大人になったからさ」
良い意味でも、悪い意味でも。大概の事は成るように成ると理解した。どんなに願っても叶わない祈りが在ると気付いてしまった。風に木が揺れる。土埃は天に舞い、其所に在るだろう誰かの屍を露呈させようとする。
その恵風は、世界に桃色の粒子達を解き放つ。2人して天を仰げば、感嘆の聲は空に滲んで消える。一つ一つの花弁が、個別の生き物の様で。
俺達の世界が平等に色付く。
「そろそろ行かなくちゃ。」
ぽん、とベンチから飛び降りて、少女は言う。突然のことに呆気にとられながらも、俺は背中を見送る。
「じゃあ、気をつけて。」
「おにいちゃんの願い、きっと叶うよ。」
「え?」
少女は俺に、手のひらを見るようにジェスチャーする。それに従い、そっと手を開くと、桜の花びらが入っていた。
「これは…?」
次に顔をあげた時には、もうすでに少女の姿はなかった。別々に歩み出す先。その先にも、平等に降り積もる花弁。
ーーーーーーー
「ね?願い、叶ったでしょ。」
次の日、ボロい不動産で紹介されたボロいアパートで少女と再会することは、また別のお話。
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