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八坂は山の中を黙々と歩いていた。
登山道から外れた獣道。歩みに迷いはなく、慣れた道なのだとわかる。近所のコンビニに行く気安さだ。
青々と繁る緑の中では、オレンジのウインドブレーカーがよく目立つ。ナップザックを引っ提げて、ずんずんと進む。
やがて朽ちたお社へと辿り着いた。
中腹辺り。切り立った崖の下。横穴にすっぽりとはまる形でそのお社はあった。今にも崩れ落ちそうだ。台風にあったらひとたまりもないだろう。立地のおかげで辛うじて形を保っている。
「来たよー。神様いるー?」
言いつつ、八坂はスニーカーを脱ぐ。
「お邪魔しまーす」
見た目とは裏腹にすんなりと開く戸。その向こうに広がるのは綺麗な板の間。どう考えても、外観と中身が広さを含め全て一致していない。
「あ、いたいた」
けれど気にすることなく、八坂は上がり込む。
板の間の奥で、一人の青年が胡座をかいていた。鳶色の着物に、深い緑の帯。帯よりやや明るい羽織は、袖を通さず肩に掛けているだけ。長い髪は結んでおらず、ただ背に流している。
膝の上で頬杖をつき、ただでさえ悪い目付きをより険しくした。
「あ、八坂。いらっしゃい」
青年の後ろから、一人がひょっこり顔を出す。中高生ぐらいのその人物は非常に整った容姿をしており、一見して性別が分かりにくい。
うっすらと藤の色が散った白い着物。帯は濃い紫。服装からは男なのだと推測される。肩より少し長い髪を緩く結び、前に垂らしていた。
八坂の姿を確認すると、にこやかに手を振る。その手には櫛が握られていた。
「あ、九里。お邪魔します。何?神様の毛繕いしてたの?」
「うん。八坂もやる?」
「えー。どうしようかな」
話ながらも、八坂は二人の傍まで移動し、ぺたりと座り込む。
「山のいい匂いがするよ?」
「知ってるー。でもどうせなら私は九里の毛繕いしたいかな。その方が面白そう」
「あ、それで神様が八坂を」
「そうそう」
「やんねぇよ。髪ねぇだろ」
眉間の皺をより深くし、青年が言い捨てる。
「いや、なくはないよ。短いだけで」
確かに。八坂の髪は肩より上で切り揃えられている。二人より短いが、決してつるっぱげではない。
きょとりと瞬いた八坂は、そそそと九里に近づく。口元を手で隠し、こそこそと話しかけた。
並ぶと、八坂の方がわずかに年上に見える。
「何?神様ご機嫌ななめ?」
「ちょっとね。嫌なことがあって」
「おい」
「はいはい」
どうやら思い出したくもないよう。山に廃棄物でも遺棄されたのかなと、八坂は考えた。
「ま、いいや。羊羮作ってきたから食べよ」
「失礼します」
八坂がナップザックからタッパーを取り出したところで、奥から少年が出てきた。
「あ、なづな。お邪魔してます」
「八坂さん。こんにちは」
「なづな。八坂が羊羮作ってきてくれたんだ。八十八にも声かけて、皆でおやつにしよ」
「ありがとうございます。では呼んできますね。あと、飲み物の用意も」
よろしくと、九里が声をかける。
すっと戸が閉められてから、八坂はわずかに居ずまいを正した。
「それでさ、ちょっと訊きたいことがあんだけど」
「訊きたいこと?」
九里が首をかしげる。神様も、何事かと八坂に顔を向けた。
「最近、神様誰か拾ってきた?」
「あ?」
「こっそり世話してるとかがなければ、誰も拾ってきてないはずだけど?」
二人の視線が神様に向かう。
「してねぇよ」
「そっか。今、山の中に迷子とかは?」
「……いや、いねぇな」
「そっかぁ」
少し考えるそぶりをみせての返答に、八坂は見るからに落胆する。
「迷子がどうかした?」
「近所の小学生の女の子がさぁ。一昨日の夜から帰ってなくて。ここで遭難したとかだったら、神様が保護してるかなって」
「いやそうそう手は出さねぇよ」
「ここ数年はないねぇ。なづなが最後だよ」
言いつつ、九里は慰めるように八坂の頭を撫でた。
「八坂はその子に見つかってほしいの?」
「できればね。ま、なるようにしかならないし。その内ここらも捜索で賑やかになると思うけど、そういうわけだから」
神様は軽く片肩を動かし、返事の代わりにした。興味がないのか、視線を前に戻す。
九里がなおも口を開こうとしたところで、すぱーんっと勢いよく戸が開いた。次いでかたまりが八坂に直撃。
「こらっ、この駄狸が!」
叫んだのはお盆を手にしたなづな。
「八坂ー。なづながいじわるするー!」
そして八坂に突撃したかたまり、狸も大声でわめいた。
「どうせ八十八が悪さしたんでしょ」
「してないもん!」
「何もしないから怒ってんだろ!」
八坂の腹に頭をこすりつけるように、八十は嫌々をする。笑いながら、八坂は膝の上の八十八を撫でた。
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