13.惨劇

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13.惨劇

 そこは満天の星が煌めく空間だった。  辛うじて透明な床はあるが、頭上にも足元のはるか下にも星が瞬いており、宇宙に浮かんでいるような心地になる。  頭上にはしわくちゃの巨大な岩のようなものが浮かんでいた。それも9つ。 「あれは、俺が射落とした9つの太陽――の遺骸だな」  后羿が周囲を警戒しながら、呟く。  どこからか、女の子の泣き声がした。 「……雁居?」  声のする方向に走っていくと、異界の星々の間に浮かびあがるように雲野邸が見えた。  ただし何かに吹き飛ばされたように徹底的に破壊し尽くされている。瓦礫と砕かれた建材が積み重なっていた。  驚きで言葉も出ない。  泣き声は瓦礫の山の影から聞こえてきた。  そっと覗くと雁居がいた。泣きながら素手で瓦礫の破片を掘り返している。その手は汚れ、血まみれだった。 「どうしたんだ雁居!?」  思わず叫ぶように尋ねる。雁居はぱっと振り返って、俺達を見つけると走り寄った。  俺の胸に飛び込んで涙目で訴える。 「藤見君、后羿さん、助けて! 兄さんが瓦礫の下敷きになって……!」 「なっ――?」 「タカオが!?」  后羿は慌てて瓦礫の山に向かっていった。雁居がその後を追う。  俺は違和感にその場に立ち尽くした。 (あいつ、今なんて言った……?)  違和感の正体にはっと気づいた時には、后羿の背に雁居が差し迫っていた。その手には鋭いナイフ! 「后羿、逃げろ!」  反射的に弓を引き絞り、雁居の背に照準を合わせ――射離す。  鋭い音を立てて雁居の背に一直線に矢が迫る。  ちっと雁居は舌打ちして素早く横に転がった。標的を失った矢は后羿の脇を掠め、建材の破片に突き立つ。  “雁居の偽者”は透明な床を転がり、立ち上がりざまナイフを構えた。張り詰めた声で問いかけてくる。 「なんで気づいた」  俺は次の矢をつがえながら雁居の偽者を睨みつけ答える。 「雁居は、俺のことを『透君』って呼ぶし、ご当主のことは『お兄様』って呼ぶんだ。リサーチ不足だったな」  危機一髪で命拾いした后羿は、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて嘆息した。 「……そういえばそうだった。タカオが生き埋めになってるって聞いてすっかり動転しちまった」  偽の雁居はせせら笑った。 「そんなんだから、俺なんぞに後れを取る。数千年前から抜けてましたね。”先生”」  后羿は偽者を睥睨する。 「……何者だお前」 「おやおや、耄碌したものですね。唯一の弟子を忘れてしまったのですか?」  嘲る声は黒い光に包まれた。  一瞬後、光が消えると、そこには6歳位の少年がニヤニヤと弓を弄びながら立っていた。  后羿は目を見開いた。 「お前、まさか――逢蒙(ほうもう)か?」 (逢蒙って……?)  訝し気な俺に気付いて、后羿は説明してくれた。 「十日伝説で、俺を殺した弟子だ。以来転生するたびに俺を殺しにくる。――言いたかないけど、絶対に俺を殺すように宿命づけられた馬鹿弟子だ」  つまりは后羿の天敵か!  后羿は油断なく弓を構えた。 「だがなぜここにいる? それにお前が生まれるべき時代はもっと後のはずだ」  ――答えは背後から飛んできた。 「お答えしましょう。彼は貴方への対策用に私が作ったクローンです。人工的に作られたクローンなら運命の周期に縛られることはないと気付きましたので」  振り向くとスーツ姿の男がいた。  腕に雁居を抱え、その首に斧を押し当てている! 「雁居!」 「透君、后羿さん、ごめんなさい……」  雁居は手を後ろ手に縛られていた。これじゃ印を組めず、退魔術は使えない!   男は余裕たっぷりににっこりとした。 「藤見君、でしたか? 初めまして、私は太陽党の党首『甲』と言います。以後お見知りおきを」 「……雁居を離せ」  怒りのまま引き絞った弓を『甲』に向ける。奴は肩をすくめた。 「命令できる立場ですか? 彼女の命がどうなってもいいと?」  雁居の首筋に当てられた斧に力がこもった。皮膚一枚切れて薄く血がにじむ。 「やめろ!」 「だから命令できる立場じゃないでしょうに。まぁいいです。この子を無事に返してほしくば后羿を殺しなさい。……逢蒙が仕留めるでしょうが、仲間内で殺し合うなんて娯楽としてはなかなか見ごたえがありますからね」  ……しん、と沈黙が落ちる。 (后羿を殺す? そんなことできるわけがない。でも雁居が……!)  キリキリと弦が張りつめる音で、はっと我に返った。振り返ると后羿が『甲』に向けて弓を引き絞っていた。 「悪役に磨きがかかってきたじゃねぇか、『甲』。それでこそ遠慮会釈なく殺せるってものだ」 「今までも問答無用で殺しに来たくせに……。相変わらずで安心しましたよ后羿」  背筋がぞわりと粟立つ。  后羿は本気で雁居ごと『甲』を殺すつもりだ――!  慌てて后羿の射線に立ちふさがった。『甲』を背に庇う位置だ。 「后羿、止めてくれ。雁居が殺されてしまう!」  后羿は色のない声でいっそ穏やかに言った。 「世界と嬢ちゃんを天秤に掛けられたら、俺は世界を取るしかない――わかるな?」  わかるわけがない。幼馴染が殺されようとしてるのに見逃せるわけがなかった。 「俺は雁居が大事なんだ。みすみす殺されるわけにはいかない!」  ゆっくりと后羿に向けて弓を引き絞る。  后羿は目を眇めた。 「……俺に勝てるとでも?」  首を振る。 「無理だ。だけど、俺と『甲』を殺すには二矢が必要になる。二矢目をつがえている間に、そこの逢蒙があんたを殺す」  視界の隅では、逢蒙が意地の悪い笑みを浮かべ、弓を后羿に向けていた。  后羿は舌打ちした。  ……誰も動かない。完全な膠着状態だった。 「いいぞ、仲間同士で殺し合え!」  耳障りな『甲』の含み笑いだけが場に響く。  一分か、十分か、はたまた一時間か……。  緊張感で汗が一筋流れ落ちる頃、ぽつりと雁居が呟いた。 「……いいえ、あなたは私と死んでもらいます」  不穏な言葉に、背筋が凍る。 「雁居……?」 「透君、后羿さん。今までありがとう。……さようなら……」  耐え切れずぱっと振り向く。雁居は首筋に当てられた斧にすり寄るように――自ら首を掻き切った。 「雁居ッ―――!」  そこからは弾けるように事態が動いた。  血相を変えて雁居のもとに駆け付ける。俺の足の遅さをあざ笑うかのように、背後から飛んできた極太の光線が俺の左腕を消し飛ばした。  光線はそのままの勢いで『甲』と雁居に命中し、二人は吹き飛ばされた。后羿の技だ。  同時に甲高い音を立てて矢が射出される音。逢蒙が后羿を射たのか?  何もわからない。何度か床を跳ね転がり、倒れ伏す雁居しか目に入らない。  焦げる匂いが鼻を突いた。  ようやっと雁居の側に膝をついて、その真っ黒に焦げ付いた身体を抱える。嗚咽で喉が詰まった。 「雁居、雁居……ッ! なんでこんな……」  ぼたぼたと溢れる涙が、雁居の身体に沁みこんでいった。  がさがさと割れるような、小さい声が雁居の口からこぼれる。 「ごめん、ね。目の前でお兄様を殺されて、透君にも迷惑を掛けて、世界を危機に陥れてしまって……もう、疲れちゃった……」 「雁居のせいじゃない!」 「……ううん、私のせいだよ。ごめんね、とおる、くん……」  こんな結末は望んでいなかった――。  死にゆく雁居に、どんな言葉を掛けたらいいのだろう?  雁居の吐息はもう絶えそうになっている。  死ぬ前にせめてもの望みは果たせたのだろうか……? 「ッ……太陽は見れたか……?」  雁居は虚ろな視線で空を仰いだ。そこに見える風景は雨か太陽か。 「……う、ん。でも、こんなのは違う。私はただ、透君と、お兄様と同じ世界を見たかった、……だけ、なの、に……」  それっきり雁居の体から静かに力が抜け、雁居は死んだ。 「……雁居? おい、雁居っ!」  世界から音と光が遠ざかった。俺も死んでしまいたかった。  雁居の遺体をそっと床に降ろし、ふらふらと后羿の元に歩み寄る。  后羿もまた仰向けに倒れ、虫の息だった。その心臓には矢が命中していた。  腰に下げていた霊刀を抜き放ち、その切っ先を后羿の喉元に当てる。 「……よう、嬢ちゃんの仇討ちか?」  息をするのも苦しそうだ。だが后羿は額に脂汗を流しながらも笑って見せた。 「いいよ、それで気が済むなら殺してくれ。……悪かったなって思ってるんだぜ、これでも」  后羿は覚悟を決めたのか目を閉じた。  その言葉に刀の切っ先がぶれる。何度か力を込めて、その度に后羿の喉から血が流れた。  俺から滴り落ちる涙が后羿の顔に落ちて、まるで后羿が泣いているみたいだった。  俺は精一杯の気力を振り絞って――刀を鞘に納めた。后羿がぱちりと目を開ける。 「……いいのか?」  俺は涙を拭って、頷いた。 「……雁居はあんたを恨んでいなかった。復讐しても雁居が悲しむだけだ」  后羿は懐かしむような深いため息をついた。 「……そうだな、嬢ちゃんはそういう子だった」  ごほごほとせき込む。吐いた血で后羿の胸は真っ赤に濡れた。 「っ……俺ももうすぐ死ぬ。散々付き合わせて悪かった。あの世で嬢ちゃんにも謝ってくるよ」 「よしてくれ、雁居も俺も納得して付き合ったんだ。それでも言いたいなら感謝の言葉にしてくれ」  后羿は声を立てて笑った。血あぶくが口の端から溢れ頬を伝い落ちた。 「そうだったな、……ありがとう藤見。いつかあの世で会おう……」  そうして一つ大きな呼吸をして、后羿も死んだ。  ぐしゃりと膝をつく。雁居もご当主も后羿も、みんな俺を置いていく。  溢れ出る涙が止まらなかった。  
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