2.365日幻の雨に降られている少女

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2.365日幻の雨に降られている少女

 昨日の惨劇にくらべれば学校は平和そのもので気が抜けてしまう。夕方ともなれば眠気は最高潮だ。 「よーし、明日までに教卓に進路調査票を提出すること。ではホームルームは終わり!」  担任が大声でHRの終了を宣言すると、途端クラスメイトはおしゃべりをしながら方々へ散っていった。  俺は帰宅部なので、鞄を手に立ち上がる。昨日は警察の事情聴取で宵っ張りだった。ちなみに警察は俺の特異な呪いを知っている。退魔師協会の重鎮たる《雲野家》の後ろ盾もあって、思ったより早く解放された。でも帰れたのは明け方だったので、とっとと帰って寝たい。  ところがある机の側を通ったとき、机の主の唸り声が耳をついた。進路調査票を前にうめく女子高生。名は雲野雁居(くものかりい)。俺の後ろ盾である《雲野家》の末娘だ。  正直関わり合いになりたくない。長くなりそうだ。 「……あーっと、お疲れ雁居。じゃあな」  そそくさと脇をすり抜けようとしたら、びたっとつんのめった。  恐る恐る後ろを向けば、雁居に制服の裾を掴まれていた。懇願を含んだ視線が突き刺さる。若干涙目だ。 「助けて透君ー! 進路調査票が埋まらないの」 「あのな、お前の進路を俺がどうこうできると思うか?」  下手な助言をしてみろ。あの怖い《雲野家》ご当主になんて言われるか! 「でも幼馴染でしょう? 相談に乗るくらいしてもいいんじゃない!」 「俺には荷が重すぎる! 他を当たってくれ」 「泣いちゃうよ! いいの!? ……ふえええん」  泣き声というより鳴き声だそれは。  それでもクラスに残っている女子は雁居の味方のようだ。 「あー、委員長が雁居ちゃん泣かした。いけないんだー」 「いいじゃん相談に乗るくらい。クラス委員長なんだし」 「委員長の、ちょっといいとこ見てみたいー。はい、イッキーイッキー」 (最後のはちょっと違くないか!?)  ブーイングの嵐である。ちくしょう、女子を敵に回すわけにはいかない。 「わかったわかった。乗ってやるよ相談に。屋上行けるか?」  なぜ屋上かと言えば、いいかげん風に当たらないと眠気で意識が飛びそうだからだ。それに一応進路の話なのでプライバシーに配慮したかった。この時期の屋上には誰もいないはずだ。 「うん!」  そう言って雁居が鞄から取り出したのは、小さく畳まれた黄色のレインコートだ。雁居愛用の品で365日毎日使っている。しかし梅雨時の6月とはいえ今日は晴れで、雨の気配すらない。  ……彼女は雨の日は勿論、晴れの日も夏の太陽の下でもレインコートを着込んでいる。かたくなにレインコートを脱がない様からついたあだ名は「雨女」。  クラスメイトたちに冷やかされながら雁居を伴い教室をでる。勿論雁居はしっかりレインコートを着込んでいる。  クラスメイト達は雁居の変人っぷりを愛しているので問題ないが、一緒に歩けば廊下行く生徒たちからはクスクス、ヒソヒソの嵐だ。登下校一緒になることもあるから慣れたが。  熱中症にならなければ、もうなんでもいいと諦めの境地である。   △▽△  屋上からは夕陽が見えた。空は見事な茜色である。風も強くびゅうびゅう吹いている。レインコートの雁居は平気そうだが、俺は衣替えしたばかりの半袖で少し肌寒かった。目は覚めたが早く話を終わらせたい。 「それで進路の一体何に悩んでいるんだ? 進学するんじゃないのか?」  雁居は、「うん……」と少し元気がなさそうに頷いた。 「“より良い選択でより良い来世を”って進路調査票に書いてあったけど、私はどんな選択しても最悪な来世しかないじゃない。全部無駄に思えてきて。……疲れちゃった」  雁居は柵に寄りかかって空を見上げ……すぐに顔を伏せてハンカチで顔を拭った。その仕草から顔に雨粒が当たったとわかった。俺には晴れにしか見えないが。  雁居は《雨師(雨の神)》に祟られており、彼女の視界にはいつも幻の雨が降っている。365日毎日降っており、晴れの日を見たのは17年生きてきて一度だけ。ちなみにはっきりと濡れる感触もあるし、雨粒も水たまりも川の増水も雁居の目には見えるらしい。彼女にとっては幻覚ではない。それゆえに外出時にはレインコートを手放せないのだ。  しかも雁居は祟りのせいで来世は《雨師》になることが決まっている。退魔師であった雁居の曾祖父の除霊失敗のせいだ。  しかし全てを諦めるにはまだ早い気がするが……。 「功徳をたくさん積めば、来世人間になれそうだけど……無理なのか?」  雁居は無言でポケットからスマホを取り出し、アプリ《功徳カウンター》を起動させた。 「今朝は転んだおばあちゃんを助け、おこづかいを割いてコンビニで盲導犬協会に寄付しました。さて私は一体どのくらいの功徳を積んだでしょうか?」  普通なら50功徳は固い……はずだが。  雁居の示したスマホの画面には『測定不能』の文字。つまり『功徳を積んでも意味はありません』。  善行を積む以外に来世人間に転生する方法はないのに肝心の善行が積めない。……詰んでいる。 「進路なんかどうでもいいから、《雨師》にはなりたくないよ」  ぽつりとこぼされた言葉。これが本音なのだろう。 「雁居、その……」  呼びかけたものの、かける言葉も見つからなかった。  そんな俺に雁居は申し訳なさそうに笑った。 「ごめん、相談じゃなくて愚痴になっちゃったね。そだ、透君は進路どうするの?」 「俺? ……そうだな、戦場カメラマンになろうかと思ってる。そのためにどの大学に入ればいいのか調べてるけど、いっそ大学に入らないで誰かに弟子入りしてもいいのかも」  雁居は目を見開いた。 「戦場カメラマン?! なんで!?」 「なんでって。その、戦場の悲惨さを伝えることで、戦争を抑止できればと思ってさ……」  嘘だ。俺は100万人の死を見届けないと死ねない。死ぬためには多くの人が死ぬ戦場に行くのが適切だと思った――のが本当の理由だ。正直不謹慎だ。  雁居は俺の呪いのことを知らないので無難な理由を言ってごまかすしかなかった。 「ほわぁ、あの透君が戦場カメラマン……。前は救急救命士になりたいって言ってたのにすごい転身だね」 「俺が救命士になるのは流石に不謹慎すぎてね。それはやめたよ……」 「透君が不謹慎? なんで?」  救急救命士になりたかったのは、やはり死を見届ける機会が多そうだからだった。でも人を助ける救命士が人の死を願うなんて無思慮すぎてやめた。現職の方にもうしわけない。 「ええと、とりあえず雁居の進路調査票を埋めよう。家業を継いで退魔師になるのは……悪い、嫌なんだな」  雁居がものすごいしかめ面をしたので、俺は聞く前から答えが分かってしまった。 「お兄様がいい顔しないよ。私は“《雲野家》の失敗作”なんだから」  ああしまった、地雷を踏んでしまった。ちなみに失敗作とは《雨師》に祟られたことを指している。高名な退魔師である雁居の曾祖父、その失敗の生き証人。それが雁居が負わせられた宿業だ。  本人の実力に関係のないところで失敗作呼ばわりはキツイが、雁居は仕方のないことだと諦めている。酷い話だ。  雁居はため息を吐くと頭を軽く振った。 「本当はね、やりたいことはあるんだ。でも見込みがないし普通の大学にしようかな」  諦めたようで諦めきれないような口調だ。それにしても驚いた。雁居にも今生に望みがあったとは。 「やりたいことって?」  雁居は柵に寄りかかって、遠い目をした。 「私一度だけ晴れの日を見たことがあるって言ったでしょ?」 「ああ」  「10年前に私に晴れの日を見せてくれた男の人がいたんだ。私、その人を探しに行きたい。もう一度、あの晴天を見たい」  そう言って雁居はぞっとするような焦がれる眼で空を仰いだ。 「……それが叶ったら、私死んでもいいや」  ――言葉が見つからなかった。今この瞬間にそれが叶ったら、あっさりと屋上から身を捨ててしまいそうな危うさを感じたからだ。人の死を一番見てきた俺だから分かる。  自然と咎める口調になった。 「……そう簡単に死ぬって言うなよ。一度見たなら何度でも見ればいい。そのために生きるのもいい。だけど死ぬのはやめろよ」 「うん、ごめん。でも、それだけあの人に会いたい。……大学とか家のこととか、全部放り出して旅に出たいなぁ。人探しの旅」  でもまぁ、お兄様は許してくれなさそうだけど――と、雁居ははにかむように笑った。あの危うさが消えたことに安堵して、俺も笑った。 「いいんじゃないか、人探し。一応ご当主に掛け合ってさ、ダメだったら俺も一緒に探してやるよ。戦場カメラマンになったらあちこち行くだろうし、ツテも世界中にできるからきっと助けになれる」 「うん、ありがとう透君」  雁居は今度こそ掛け値なしの笑顔になった。 「進路調査票書けそうか?」 「うん、一応大学の名前を書くよ。それで夏休みになったら、あちこち巡ってあの人を探すんだ。そのうち、他に生きがいができるかもしれない。来世が期待できない以上、今生を楽しむしかないでしょ」  そう言って雁居は笑った。 「透君は私の分も、頑張って生きるんだよ。頑張れば頑張るほど報われる世界にいるんだもん。透君ならきっと来世もいい人間になれるよ!」  俺の場合、頑張れば頑張るほど人の死を見ることになるのだが、果たして俺はいい人間なのだろうか。 「お前もな雁居。その、まだこれからだからな。諦めるなよ」 「うん」  雁居は屈託なく笑った。  ――そしてそれっきり、雁居の消息は途絶えた……。
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