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5.彼女は再び死んだ
深くため息をついて空を仰ぐ。思ったより深刻な事態に頭が回らない。
おそらくあの女性の犯行は全体のまだ一部で、本当はこのコミュニティに所属する自殺者たちがあちらこちらで殺霊事件を起こしているに違いない。インターネットに国境はないから下手すると世界規模で……。
(……正直これは俺の手に余る。太陽党のことはご当主に連絡して、俺は雁居を探そう)
今までの経緯を記したメールをご当主宛てに飛ばした。太陽党のHPアドレスの添付も忘れずに。
気を取り直して、女性のスマホに向き直る。
(殺霊犯の女性の足取りが分かれば、雁居に繋がるはずなんだ。繁華街で事件を起こした後、女性はどこにいったんだ……)
手がかりを求めて太陽党HPの女性のマイページに届いたメッセージを漁る。すると太陽党の党首@sunsから届いた地図の添付ファイルと殺霊の指令があった。地図にはいくつかの赤い×印が付いている。繁華街もその一つだ。
女性が指令通りの場所で殺霊事件を繰り返しているとわかった。
(他の場所は……、病院と学校と公園と火葬場と図書館と……多いな)
しらみつぶしに当たるしかない。そうすれば、同じく殺霊犯を追っている雁居にいずれ出くわすはずだ。次の犯行時刻は、日の入り。それまでに、女性の足取りを掴まなければ……!
女性のスマホを鞄にしまい走り出した。
△▽△
指令の場所を探して、日中どころか夜通し走り回った。日の入りまでに見つけると意気込んだが、間に合わなかった。
ここまで指令の場所が隣の市に渡るほどバラバラでしかも多いとは思わなかったのだ。市の広さを恨みたくなる。徒歩で回りきるのは無理だと判断し、途中で家に戻って自転車で訪ね歩いた。
しかし最後の火葬場ときたら山の中で、辿り着いた時には日が昇りかけていた。本来は貸切のマイクロバスで来る辺鄙な場所だった。
(でもこれが、最後の一つ……!)
他の指令の場所はことごとく切断された霊が転がっていた。つまり、手遅れだったということで……冷汗が止まらなかった。
(ここにもいなかったらどうする。雁居は俺と入れ違いで殺霊犯と出くわした後かもしれない……)
あの女性が生きている人間を物理的に攻撃できるのかはわからない。でもご当主は言っていた。
『生きながら苦しめる方法なぞ、いくらでもある』と。
最悪の想像に思わず身震いをする。せめて気のせいであってくれ。
祈る気持ちで火葬場の閉まっていた入り口のゲートをよじ登る。
建物へ続く坂道を駆けあがっていたとき、薄く明るくなってきた夜を……ふいに白い光が切り裂いた。坂の上、火葬場の方だ。
(なんだ……!?)
嫌な予感がして更に足に力を籠める。
肩で息をしながら辿り着いた火葬場。そこにはあちこち破れた黄色いレインコート姿の雁居がいた。薄く血を流して片膝をつき、あの殺霊犯の女性を睨みつけている。女性の片手には凶器の斧。
女性は勝ち誇った笑みを浮かべ、雁居にゆっくりと近づいていく。雁居は悔しそうに唇を噛み締め、逃げようともしない。……いや、足を怪我して逃げられないのか!?
緩慢に斧が振りかぶられ、頭上めがけて振り下ろされる――!
気が付けば、二人の元へ駆けだしていた。
「やめろおおおおおおおおお!!!」
とっさに肩にかけていた鞄を投げつけた。二人の驚いた顔が目に入るが、それでも斧の勢いは止まらない。飛び込むように割って入る。
自らの頭を守るように掲げた腕は、手首から斧に切り飛ばされた。勢いのまま斧は真っ直ぐ俺の顔の右半分を切り潰していく。
鮮血がほとばしる――!
「と、透君……!?」
「雁居、逃げろ!!」
痛みが神経を駆け上るが歯をくいしばって耐えた。どうせすぐ治る!
少しのけぞる間にずるりとぬめった音を立てて、予想通り腕も顔もあっという間に再生された。
超速再生はよほど意表を突いたのだろう。二人は目を見開いてつかの間硬直した。
(チャンス――!)
女性に飛びかかった。雁居が逃げる時間を稼ごうとしたのだ。だが――。女性の体は掴めず、俺は地面に倒れ伏した。一瞬呆然としたが、すぐに気付いた。
(しまった、この女幽霊になってたんだ――)
眼鏡で幽霊は見えるようになったが、触ることはできない。わかっていたことなのに、とっさのことで頭から抜けていた!
女性は我に返ると、斧を再び振り上げた。くそっ、今度こそ間に合わない!
「か、雁居!」
全てがスローモーション。雁居は覚悟を決めたのか、斧から目を逸らさない。もう駄目だ――。
ところが雁居は静かに両手伸ばすと――奇妙な印を結んだ。
カッと白い光がほとばしり、空から稲妻が叩きつけるように幾筋も降ってきた。そのうちの一筋が女性に直撃。たまらず斧ごと女性は吹っ飛ばされ、地面を何度か転がって倒れた。皮膚がただれ、一部は黒く焦げている。
……俺は予想外の事態に、地面に尻をつけて呆気に取られたまま固まっていた。
「だ、大丈夫? 透君」
ふと気づくと、雁居が心配そうに覗き込んでいた。
「……お前、退魔師になるのは嫌だって……てっきり退魔術も使えないかと……」
「うん。今は退魔師になりたくないけど、それでも昔は認められたくて頑張ってた頃があって……さっきのはその時覚えたの。射程が短いからすごく近づかないと使えないんだけどね」
あんな術を使えて、退魔師じゃないって反則じゃないか?
半ば動揺しつつも、俺は雁居が差し出した手をとって立ち上がった。
「ありがとう」
が、雁居は俺の手を離さずペタペタと触って、ぎゅっと握った。
「そ、それより透君。私の見間違いじゃなければ、さっき、こ、この手が……」
……そうだった。雁居は俺が不死だと知らないんだった。
「あー、うん。あとで説明するよ。俺も雁居に聞きたいことがあるし」
それより……と視線を巡らせた先にはあの女性。うつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。霊にトドメが必要なのかもわからなくて、恐る恐る近づく。
嗚咽が聞こえた。女性は泣きながら回らない口で何かを呟いている。
「なんで、なんで……私はいつもこうなんだろう……。恨んで憎んで、不幸になるばかり。頑張ったのに、頑張ったのに足りない……。これじゃ人間に転生したって、きっと……」
胸を引き絞られるような泣き声だ。だけど、彼女のしたことは許されることじゃない。彼女に殺された霊たちは人間に転生できないかもしれないのだ。
「……貴女はやり方を間違えたんです。いくら頑張っても間違った方に努力しては報われない。それどころかもっと不幸になる」
「わ、私は、私は……」
落ちていた鞄を拾い上げ彼女のスマホを取り出す。画面は割れていたが、電源を入れて功徳カウンターを起動した。彼女の人間転生ボーダーはギリギリだ。
「貴女が人間に転生できるかは微妙なところです。……でも、どんな生き物に生まれ変わろうが、来世では誰も殺さず自分を大事にして下さい」
涙で濡れるうつろな目が俺を映す。唇が何度かわななき微かに頷いた。一つだけ静かに深い息をして、彼女は再び死んだ。
雁居が女性の遺体に何かお札のようなものを貼る。それはぱっと白く燃え上がり女性の体を包み込んだ。瞬きする間にそこには何もなくなった。
「送ってあげたの」
そう言って雁居は空を仰いだ。顔を出しつつある太陽が、世界をあたたかなオレンジ色で照らし始めていた。
「そっか……」
俺も言葉少なく、朝の空気を吸い込んだ。あの女性の魂は無事に転生できたのだろうか。彼女のやったことは許されないことだが、あの哀切を聞いては、幸せを願わずにはいられなかった。
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