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6.命を賭けたわがまま
「……そうだ雁居、これ」
自分の前開きのパーカーを脱いで雁居の肩に掛けた。あちこち破けたレインコートは正直目のやり場に困る。
「あ、ありがとう透君」
雁居は一度レインコートを脱いだ。下に着ていた制服も見事に切り裂かれていて、思わず息をのむ。
雁居は制服の上にパーカーを着たが、見事にぶかぶかだった。
その上にまたボロボロのレインコートを着込んでフードを被る。……まぁ雁居にだけ幻の雨が降ってるんだから仕方ない。
着ぶくれてふふっと照れ笑いする雁居に、我ながらちょっとぐらっときた。……寝不足だからってことにしとこう。
「じゃあ、そろそろ帰るか。ご当主も心配していたからな」
そう言って歩き出そうとしたが、Tシャツの裾をちょこんと掴まれピタリと足が止まる。振り向くと、黄色いレインコートのフードを被った頭が微かに震えていた。
「……雁居?」
「……ねぇ、透君。お兄様は本当に心配してた?」
昨日のご当主の言葉が蘇る。
『あれにも本当に困ったものだ。所かまわず事件に首を突っ込んだと思えば、今度は行方不明だと? どこまで手を煩わせれば気が済むのか』
あれは心配よりはむしろ……妹の不出来を苦々しく思っているような……。
正直に言えるはずもない。ぎこちなく笑う。
「あ、当たり前、だろ?」
「ふふっ、嘘が下手だよね、透君は」
息が止まりそうなほど儚い微笑だった。
「雁居……。その……」
「帰らないよ、私は」
雁居は目に決意をにじませて、きっぱりと断言した。
「な、なんでだ?」
「夢がもう少しで叶いそうなの。このチャンスを逃したら、一生後悔する」
ぎゅっと袖を固く握りしめている。
「お前の夢……。十年前に晴れの日を見せてくれた男性に会って、もう一度太陽を見ることだっけ?」
こくりと雁居は頷いた。
「ねぇ、透君。一生に一度のお願い! 雁居は、太よ――とある組織のリーダーと会うまで帰らないってお兄様に伝えて。私の探している人はその人かもしれないの……!」
そういって雁居は「お願いします!」と勢いよく頭を下げた。
……深く嘆息する。雁居はびくっと肩を揺らした。
なにも知らないとでも思ってるんだろうか。太陽党のリーダーと言ったら、世界中で殺霊事件を起こすように指示しているテロリストだ。
「本当に『太陽党』のリーダーがお前の探していた人なのか?」
雁居は驚いたように目を瞬かせた。俺が太陽党と明言したことで、事情にある程度精通していると気づいたらしい。遠慮はいらぬとばかりに自分のスマホを取り出し、待ち受けにしている太陽が眩しく照る南国のビーチの風景を見せてきた。
「これは?」
「太陽党のコミュニティからダウンロードした、太陽党のリーダーが撮った写真」
「……どういう感想を期待してるんだ?」
「私には! この写真が晴れているようにみえるの! この写真だけなの……」
雁居はもどかし気に言った。
一瞬言葉の意味を考えて、あっと気づいた。雁居の呪いは写真や映像にも及んでいる。
いつもならどんな写真も雁居には雨模様にしか見えないはずなのに……この写真だけ晴れている?
「つまり、この写真を撮ったリーダーの周りではお前の幻の雨が止むってことか? それが写真に現れていると……?」
雁居は泣き出しそうな顔でこくんと頷いた。
「わかってるのか? 相手は犯罪者だぞ」
「……知ってる」
「それでも、か……?」
「うん、私には心配してくれる人はいないからね……。命の危険があろうともこの人に会いたい」
雁居は俺を真正面から見つめてはっきりと言った。学校の屋上で見た、ぞっとするような焦がれるような目をしていた。……願いが叶ったら、そのまま死んでしまいそうな。
背筋がぞわりと総毛だった。慌てて雁居の両肩を掴んで言い聞かせる。
「俺が! 心配している!」
「ありがとう、透君」
儚い笑顔。信じてはいないようだった。
ご当主を呪いたい。雁居がここまで自分に自信がないのはご当主をはじめ、雁居の周りの人々がこいつを大事にしていなかったせいだ。
……そして俺もその一人かもしれない。
後悔はしたくない。取れる手は一つしかなかった。
「……わかった。もう止めない。好きにすればいい」
「うん、今までありがとう。透君」
雁居はほっとしたように笑った。
「俺はお前について行く」
「えっ……!?」
「お前にくっついて行って、お前の盾になる」
雁居は信じられない言葉を聞いたようにふるふると首を横に振った。
「透君を巻き込むわけには……」
「もう十分巻き込まれてるし、お前が勝手をするなら俺も勝手にする」
強引だけどもうこれしかない。
こちらが一歩も引く気はないと知ったのか、雁居は困ったように眉を下げた。
「……下手すると命がけになるよ。透君のことも守ってあげられないかもしれない」
「守ってもらわなくてもいい。勝手について行くんだ。俺のことは気にするな」
「ほ、本当に好き勝手にするからね! 後悔しないでよ!」
「しない! 俺に二言はない」
にらみ合う。無駄な時間だ。俺が折れることはないんだから。
……何十分か経った頃、雁居はようやく諦めた。
「……わかった」
俺は張りつめていた息を吐いた。
「よし、交渉成立だ……(ぐぅ~)……な?」
盛大な腹の音が雁居から聞こえた。顔が真っ赤だ。
緊張した空気をぶち壊す音に、思わず二人して笑ってしまう。
こころなしか雰囲気が柔らかくなった。雁居の頭にぽんと手を乗せる。
「とりあえず腹ごしらえするか。その後情報交換して、太陽党のリーダーに接触する方法を考えよう」
「うん、ありがとう透君」
久しぶりの雁居の笑顔だった。
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