8.后羿(コウゲイ)

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8.后羿(コウゲイ)

 2時間後。  雁居が真剣にDMに返事を打ち込むのを横目に、俺はテーブルに片頬をつけて突っ伏していた。半端ない頭痛だ。 『お待たせしました。私の呪いで党首様の居場所を当てたら証拠になりますか?』 『なりますが、チャンスは一度だけです』  ごくりと雁居の喉が鳴った。震える指で、一文字一文字ゆっくりと入力している。 『――党首様はドイツのハンブルクにいらっしゃいますね』  運命の瞬間だった。 「あっ!」  しばらくして、雁居が短い叫び声をあげた。慌てて起き上がる。 「どうした!?」 「こ、これ……!」  震える手で見せてくれたスマホの画面。そこには『正解』の文字が。雁居は涙に潤んだ目で笑っている。 「よかったな!」 「うん!」  雁居はスマホで軽やかに返事を打ち始めた。 『ありがとうございます! それで、お会いして頂けるのですね』 『勿論、約束は守ります。ただし……』  小首を傾げる。 『ただし、……貴女が 死 ん だ 後 に、ですが』 「えっ?」  唖然とした声が上がった。  その一瞬後、傍らの大きな窓ガラスが派手な音を立てて割れた。  キラキラと舞う破片に紛れて、いくつかの大ぶりの斧が、鋭く回転しながら雁居めがけて飛んでくる。 「雁居!」  対面の席にいた俺は、とっさに右腕を伸ばして斧の進路に割り込んだ。 「――――ッ!」  呻き声を耐える。斧は寸分たがわず、俺の腕の骨まで到達して食い込んだ。血が噴き出す。  薄く向こう側が透けている斧だ。さては太陽党の自殺者たちの斧か! 「と、透君!」  斧の何本かは外れて、店の壁をズタズタに切り裂いた。店内に悲鳴が上がる。 「か、壁が……! 一体、何なのよ!!!」 「見てあの子! 何もないのにいきなり血が……!」 「はやく逃げて!」  出入り口に殺到する人、テーブルの下に隠れる人、立ちすくむ人、ひたすら叫び声をあげる人――店は大パニックだった。  雁居を窓から離れたテーブルの下に押し込み、俺もテーブルの下に隠れる。すぐに雁居が俺の腕を引っ張った。 「透君、腕! 止血するから見せて!」 「大丈夫だ、もう治ったよ」  すっかり癒えて傷一つないなめらかな腕を見せると、雁居は唖然とした。 「! なんで!? そうだ、火葬場の時もすぐに治って……」 「言い忘れてたけど、俺不死身なんだ。怪我くらいすぐに治る」 「――――?!」  絶句する雁居。  そんな時でも雁居の持っていたスマホが通知音を響かせた。 「俺のことはいいから。あの野郎なにを言ってるって?」  俺の声に滲む党首に対する怒りに気付いたらしい。ぎこちなくスマホを操作している。 「う、うん。えっと、『貴女はどうも危険人物らしい。計画の邪魔になりそうだ。ここで死んでもらいます。ああ、約束は果たします。貴女の遺体にはお会いしますよ』……どうしよう、透君」 「……なんとかして切り抜けるしかない」  外は恐らく太陽党の幽霊たちが包囲している。党首命令で俺たちを殺しに来たのだ。あの野郎自分の手は汚したくないってか、上等だ。  切り抜けてどうにかして奴をぶん殴らないと気が済まなかった。 「雁居、鏡持ってないか? あったら貸してくれ」 「う、うん」  手鏡を反射させて外の様子を窺う。案の定大量の霊が店を取り囲んでいた。  皆一様に斧をたずさえている。幽霊が見えない生者のやじ馬たちも混じっていて、区別も難しい。  もしこちらから攻撃したら被害がでそうだった。 「ご当主に連絡できるか? 応援を要請しよう」  俺達に霊達の注意を引き付けて、背後からご当主の率いる退魔師達で急襲し、蹴散らす。  現状ベストな作戦はこれだろう。 「わ、わかった!」  雁居は慌てて電話し始めた。 「……あっ、お兄様! 雁居です! 助けてください! 今たくさんの霊にとり囲まれてて、一般のお店にも被害が。場所は……え? もう応援を送った? …………。お兄様、流石にそれは無謀というものです! ……あっ! もしもし!? もしもし!」  どうやら一方的に切られたらしい。スマホを見つめて呆然としている。 「応援は送ってくれたんだろ? 何が無謀なんだ?」  雁居は眉尻を下げて泣きそうな顔をしている。 「それが……、応援は一人だけ寄越すって」 「……はァ?」  無謀ってレベルじゃないぞそれは! 武器を持った大量の霊に三人で立ち向かえと? (ご当主も焼きが回ったか? それとも俺達に死ねとでも言いたいのか。一般人にも被害が出かねないこの状況で?)  ご当主の身内である雁居の手前口には出せないが、俺の頭は怒りとご当主への罵詈雑言でいっぱいだった。  雁居は不当に疎まれているとは思っていたが、まさかここまでとは。  ……いいだろう。腹は据わった。 「雁居、客に紛れて逃げるぞ。できるだけ俺を盾にしろ。裏口がまだ手薄かもしれないな。行こう」  そう言って手を引いて、テーブルの下から出ようとした。  が、雁居は首を振って抵抗する。 「と、透君。応援の人を待とう? お兄様もなにか考えがあって……」  まだ甘い考えを捨てない雁居に怒りが噴き上がる。 「お前は、今までにされた仕打ちを忘れたのか! 今回だって大量の敵の中に妹を放置して、応援は一人しか寄越さない。これで何を信じろって言うんだ」 「――っ」  雁居はショックを受けて黙り込んだ。顔が青ざめている。  途端に後悔が押し寄せてきた。  馬鹿は俺だ。ただでさえ追い詰められている雁居に、なんてことを……。 「……ごめん。ご当主の思惑は俺にはわからん。生き延びて直接聞くしかない。ただ、応援を待つよりかは今逃げた方が良い。時間が経てば経つ程、敵が増えて脱出が難しくなる」 「透君……」 「せめて、もう少し敵の数が少なければ……」  外を窺っていると、空に緑色の何かがキラリと光った。 (ん……?)  目をすがめる暇もなかった。緑色の光は数十筋にも分裂して、幽霊たちの上に降り注いだ! まるで雷雨だ。  ドガガガガガガ!!!!  斧は砕かれ、幽霊たちは逃げ惑う。光が命中した幽霊は、ぼっと音を立てて緑の炎に焼かれ、消滅した。  生者のやじ馬たちが何もしらぬとばかりに、ざわざわと立ち尽くしている。  緑の光は生者には見えないし、影響を及ぼさないらしい。 「綺麗……」  雁居はぽつりと呟いた。 「あれに見覚えはないんだな?」 「うん、普通は生きてる人を巻き込まないで浄霊するのはとても難しいの。だからすごい術者の技だと思う」  緑の雷雨はその後5分間続き、あれだけ大量にいた幽霊の大群は全部浄霊されてしまった。俺達は呆気にとられるしかなかった。  何が起きているかも認識できない外のやじ馬が散り始めた頃、のしのしと道の向こう側から男が現れた。  紅い弓をたずさえ、白い矢筒を背負った35歳くらいの長身の男だ。顔立ちは東洋系だが日本人ではない。  その男は入店し、割れた窓の側でポカンと立ち尽くしている俺達の側に来ると、日に焼けた顔でニヤリと笑った。 「よぉ、助けに来たぜ」 「……もしかして、あんたがたった一人の援軍か? さっきの緑の光はあんたの……?」 「ああ、俺の仕業。タカオに頼まれて救援に来た。しっかしお前ら……」  男はそこで言葉を切ると、俺たちを上から下までじろじろと眺めた。  ぶしつけな視線に思わず雁居を後ろに庇う。  男は納得したのかばりばりと黒髪を掻くと、溜息をついた。 「な、なんだよ」 「いや、やっぱり弱いなと思って。あの程度も切り抜けなくて、太陽党の党首をぶっ殺すなんてできるのかね。強敵だぜ、アイツ」  物騒な言葉に二人そろって唖然としてしまった。 「ぶっ殺すって……」  ぶん殴りたいとは思ったが殺したいとまでは……。  俺達の戸惑いを察したのか、男はおや? と片眉を上げた。 「タカオから何も聞いてない?」 「……聞くも何も、応援を送るとしか」  げっ、と男は呻いた。 「マジかよ。タカオは今流行りの不愛想系男子を目指してるのか? フォロー役がその分喋んなきゃいけないから勘弁してほしいんだけど」  男はぶつぶつとよくわからないことを呟いている。なんだこの軽薄な男は。  男はひとしきり悪態をついていたが、何やら勝手に納得したらしい。  くるりと俺達に向き直るとニッと笑った。 「じゃあ、軽く自己紹介。俺は后羿(コウゲイ)。名前の通り中国人。太陽党の党首をぶっ殺そうと日夜頑張っている男だ。で、お前らにも協力してもらう」  絶句する俺。  しかし雁居は育ちが良かった。面食らいながらもぺこりと頭を下げる。 「ご、ご丁寧にどうも……? 雲野雁居です。さっきは助けて頂いてありがとうございました」 「嬢ちゃんはいい子だなぁ。タカオの妹とは思えない。いっそ俺の妹にならないか?」  后羿は雁居の頭をなでようと手を伸ばしてきた。思いっ切り叩き落とす。 「えー?」  唇を尖らせる后羿を、俺はきっと睨み据えた。 「助けてくれたことには感謝する。が、触るな。それより、党首の暗殺に俺達も協力してもらうとはどういうことだ?」 「ここで詳しく説明すると警察呼ばれちゃうなぁ。ほら俺武器持ってるし、殺す殺さないなんて話は真に迫り過ぎてるから」  こちらに非があるように言っているが、先に党首を殺すなんて言い出したのはこの男だ。思わず突っ込みそうになった。  しかし、近づいてくるパトカーのサイレンの音を前にしてはそれどころではない。  ぐっと黙ると、后羿はほらなと肩をすくめて笑った。 「さってと、警察が来る前に急いで雲野邸に帰るぞー。改めて向こうで説明するから、お楽しみにー」 「は、はーい」  雁居はすっかり后羿のペースに乗せられていた。ため息をついて、退店しようとする二人の後を追う。  何やら嫌な予感が止まらなかった。
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