京アニ放火事件の青葉容疑者について思うところ。

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京アニ放火事件の青葉容疑者について思うところ。

 俺の通っている病院が某京アニ作品の聖地の近所にあって、事件後に何度か訪問したので思ったことを淡々と書きます。  まず、俺自身について少し触れておくが、エブリスタ電子書籍大賞2013ヤングマガジン賞を授賞して晴れてコミカラズ――とだけ言えば聞こえはいいが、あの一件で酷く名誉を汚され、自らの作品の漫画版の最新話が更新される度に心を抉られるような感じで、ただただ悲しかったです。それでも、話が更新される度に続きを読まずにはいられなかった。それは何故なら、もしかしたらどこかで俺がこの物語を通して何が言いたかったのか、何を伝えたかったのか、たとえそれが本来の作品から酷く逸脱した形でもいいから、漫画という媒体で本来の作品テーマを見ることができれば多少なりとも救いになったからです。  でも、そのようなことは最後の最後まで無かった。  やや自分語り気味になりますが、作品を奪われるとは、どういうことか。  ヒエラルキーに泳ぐ深海魚は夢を見る、という作品は、今読み返してみれば文章は稚拙だし、三人称視点だが時々一眼視点になったり神視点も入るし、もうほんとめちゃくちゃ。だけど物語そのものや込められた意味に関しては決して自虐していいものではないと自負しています。ただ、物語というのは読者の方々が時間と労力を使って各々の解釈を持ってして完成するものだと思っているので、あえて自ら解説はしませんが、二日に一度しか睡眠をとらず、文字通りアルバイト以外の全ての時間を執筆に費やした、とてもとても大切な作品です。  コミカラズ版を担当した「まくた」という漫画家。はっきり言って今でもぶっ殺してやりたいです。もし、あいつが今でもどこかで漫画を描いているなら、特定してボコボコにけなしてやりたいです。俺はまだあいつを許せない。でも、見方を変えれば、まくたに「自分のほうがもっと面白いものが書ける」と、勘違いさせてしまうだけの隙が俺の作品にはあったのではないか、本当に憎むべきは自分の実力不足なのではないか、そう思うと、もう何も書けなくなりました。  毎日がつらいです。安月給で朝晩問わず仕事をして、疲れて家に帰って、食事をする気も風呂に入る気も起こらず、ただただ死んだように何もしない時間を過ごして、薬を飲んで、もうこのまま死んでしまいたい、もう目覚めたくない、と、思いながら眠りに着き、現実では手に入らないような美しい夢の世界に酔いしれて、朝に目覚め、薄れゆく夢の残滓を振り切ってビールの空き缶とカップ麺の容器で散乱した部屋でアラームを止める。気がつけば作業着のまま寝ていたようで、重い体を引きずって着の身着のまま仕事へ向かう。そんな日々を送っています。  基本的にもともとエブリスタで物語を書いていたことは、その後に出会った人たちには話していません。人生の汚点なので。そして、そんな事情を知らない人たちからすると、俺の暮らしぶりはまるで亡霊のようで何かと気にかかるようです。そんな方々はいつも俺に明るい言葉をかけてくれます。何があったのかは知らんけどまだまだこれから先は長い、とか、まだ若いから将来これから、とか、様々です。だけど俺はもう「先」や「将来」や「未来」なんかには一切の興味がありません。  俺の大切なものはもう、過ぎ去った過去にしか無いのですから。  元々は車やバイクが好きで、運転するのも整備するのも大好きでした。しかし、諸事情により、そういった業界にはいられなくなり、全てを失ったのなら、いっそ自分のやりたいことをとことんやってやろうと一念発起し、アルバイトを転々としながら生きるのに必要最低限の賃金で、壊れかけのガラケーを駆使して寝る間も惜しんで書き上げたのが、ヒエラルキーに泳ぐ深海魚は夢を見るという作品です。それを他人の手でめちゃくちゃに破壊される感情は筆舌に尽くしがたいものでした。  ここからようやく青葉容疑者の話になりますが、彼は「作品をパクられた」という理由で火を放ったそうですが、何故そんなことをする必要があったのか、何故罪の無い優秀なアニメーターの方々が犠牲にならなければならなかったのか、私見を交えながら考察していきます。  まず犯行動機ですが、俺も漫画家のまくたをぶっ殺してやりたいという気持ちが少なからずあるので、ある程度は共感できる部分があります。ですが、俺の怒りの矛先はあくまでまくた個人であって、講談社でもヤングマガジン編集部でもありません。彼らを恨んでも仕方のない話だからです。では何故、青葉容疑者は京アニの第一スタジオを標的したのか、青葉容疑者は埼玉の自宅を出るときから既に殺意はあったそうです。埼玉から京都までは新幹線を利用しても三時間くらいかかるのではないでしょうか。その間に自分のやろうとしていることが如何に馬鹿げているのか、我に返る瞬間は無かったのだろうか。  彼の生い立ちについて触れたいと思います。青葉容疑者は幼い頃に両親が離婚しており、彼が二十一歳の頃に父親は自殺しているようです。母親とはほぼ絶縁状態で、過去に下着泥棒で逮捕された際に一時身元引き受け人になっています。それ以降の関係は不明だが、その数年後にコンビニ強盗を犯しているところを考えると、おそらく母子としての関係はほとんど無く、青葉自身は生活に困窮していたと思われます。  ここから青葉の人間性について書いていこうと思いますが、まず、彼は自己顕示欲が非常に強く、気に入らない相手にはとても狂暴な態度に出ると考えられます。それは過去の服役中の態度からもうかがえますし、両親が離婚していて一方は自殺、もう一方は絶縁状態、誰からも認められることのない惨めな人生だったのでしょう。下着泥棒を犯している地点で女性に対する支配欲のような歪んだ感情があったと思われ、それは彼の当時の服役中の態度や、放火の際に負った火傷の療養で収監されていた病院での態度からも鑑みることができます。  まず、下着泥棒やコンビニ強盗、ソースはどちらの犯行を指しているのか定かではないが、服役中の態度です。一言で言えばかなり危険な奴です。前述したように気に入らない相手にはとても狂暴な態度を取りますが、特に女性関係に対する質問に関して過剰に狂暴になり、事実をひた隠しにしてキレるそうです。次に放火の後の病院での彼の態度ですが、気に入った女性看護師の前では反省している素振りを見せて、その女性看護師がいないと途端に横暴になったそうです。女性関係に相当なコンプレックスがあったのでしょうね。そして若い頃の青葉は周囲から見てイケメンと言われる部類だったそうです。なおさら、何故こんな自分が――という思いがあったんだと思います。つまりイケメンだけど何故自分がモテないのか自覚できてなくて周りが悪いといった、歪んだ性の価値観が前提としてあったのかと推測します。  つまり、自分は無条件に認められて当然で、そんな自分を認めない社会は間違っている、と、彼は心の底から信じ込んでいたのでしょう。そのような人生を送ってきた人間が、仮に人生の全てを掛けて創作物を作ったとする。本当に作ったのかは定かではないが、作ったとして、もし本当に京アニに原案として提出したなら、受け取った相手の名前を知らないわけがない。  長くなってしまったが、ここからが本題だ。本当に原案を提出したなら、受け取った相手の名前を知らないわけがないんですよ。つまり復讐すべき相手は決まっているはずなのに、彼が第一スタジオに火を放った理由が「一番スタッフが多かったから」です。おかしくありませんか? 普通に考えて私怨による犯行ならそいつをピンポイントで狙うはずでしょ? なのに、何の関係も無い優秀なアニメーターの方々を襲撃した。そもそも恨みを晴らす相手が間違っている。それは何故か。全ては彼の頭の中の出来事だからです。創作をしつつ誰かの作品を読んでいれば「あ、これ俺が書いてるやつと同じだ」ってなるのは珍しいことでもなんでもないです。つまり彼は自分の草案と京アニ作品に通じる部分があって、そこに彼の人生で培われた被害者意識が発動して、犯行に及んだのかと、そして前述したが、埼玉から京都への長時間の移動中に我に返ることはなかった。  おそらく、長らく他者との関係を築けなかった故に自分の考えが世界の全てだと思い込んでしまっていたのでしょう。そして、青葉の弁護士の言い分を聞いている限り、青葉は心神喪失により無罪を主張しているようです。彼には二度に渡る前歴があります。その上で今回の犯行を起こし、そして埼玉から京都にかけての長時間に及ぶ移動の最中にさえ自分の異常性に気づけずに、ただ単に最も多くのスタッフが勤めているという理由で京アニ第一スタジオに火を放った。もしこいつが心神喪失で無罪になっても、一生隔離病棟から出さないでほしい。  俺で言うところの講談社の建物に火を放つくらいの暴挙だぞ。  あと、まくた、一応あのとき社会的に殺してやったけど、ちゃんと死んでくれたか? 俺はまだお前のこと許してないからな?
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