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蛇神殺し編
常柱(とこばしら)大学特任教授、神成大和(かんなりやまと)の講義は人気がある。
彼はいつでも決まって、始業のベルが鳴って十分過ぎてから教室に現れ、生徒に全ての扉に鍵をかけるように言う。遅れた学生が教室に飛び込んできて、レジュメを探してうろうろと教室を彷徨い、彼の「冒頭演説」を邪魔することを、彼は特別に嫌っていた。
神成教授の講義でいつも使用されるのは、E棟二階の大教室壱番と弐番の内、どちらかだ。どちらの教室も映画館のように階段上に学生の座る椅子と机が設置されていて、教壇も劇場のように、一メートルほどの高さがある。他の教授は左右の脇に供えられた三段のステップを利用するが、神成教授はいつでも必ず、一メートルの高さに片足と両手をかけて、一気に教壇によじ登る。そして乱れた白衣を整えた後で、教卓に向かってマイクを取り、反対の手を振って学生たちに挙手を促す。
「君たちの中にクリスチャンはいるか? 十字架に磔にされた半裸の男による世界の終末と救済を信じている者は? 豚が食えない者? 牛が食えない者? 仏教徒はどうだ。浄土真宗、日蓮宗……何でもいい。君たちの中で祖父や祖母が死んだときに葬式で焼香をあげたことはあるか? 実家に仏壇がある者は? 教会で結婚式に参列したことがある者? サンタクロースを信じていたことがある者は?」
神成教授はここでようやく言葉を切り、教室中をぐるりと見渡す。
「ほとんどが手を挙げたな。よろしい。私は君たちの信仰心を否定しない。しかし私は──」
舞台役者が作るような「間」の効果を十分に発揮する沈黙を置いてから、彼は宣言する。
「──神の存在を否定する」
この頃になると、神成教授が扉に鍵をかけさせた頃にはざわついていた教室はすっかり静まり返っている。中には異様な空気に怯えて、周囲の学生と顔を見合わせる者もいる。
「そのようなものは存在しない。存在するべきではない。『神は死んだ』というかの哲学者の宣言の後、今もなお生きながらえている神がいるのならば、それは殺されるべきだ」
この一連の流れは、隔週で開かれる神成教授の講義で、恒例となっている。宣言が終わった後、教授は出席を取る。ここで堂々と教室を出て行く学生もいるが、咎められることはない。教授の講義に人気があるのは、講義の内容に魅力があるからではない。学期中の一度でも出席をすれば、自動的に単位がもらえるからだ。
この後の講義は特筆することがない、民俗学と哲学と、宗教学が入り混じったような昔話だ。特定の層には人気が出そうな内容だが、常柱大学は理系が圧倒的多数を占める大学である。リピーターは少ない。それゆえに、教授は毎回の講義で同じ内容の冒頭演説を繰り返すのだ。
本学の学院生である本多真鈴(ほんだますず)も、また他の学生と同じように、楽に単位が欲しくて登録したのだが、初回だけ出席して後はもう行かない、ということが、生来の真面目な性格ゆえにできなかった。
彼(真鈴、という名前から誤解されることが多いが、彼はれっきとした男性だ。身長も175センチある)は始業開始の五分前には大教室の最後列に着席して、全ての成り行きを見守っていた。
「私のことを無神論者だという者もいる。日本版のマデリン・マーレイ・オヘアのようになって、米粒を残すことは七人の神様に対する冒とくだと諭す教師や、和室の鴨居を踏むことは神様の頭を踏むことだと言って叱る親たちの胸倉を掴んで信仰の押し付けだと最高裁に突き出すつもりだと考えている人間もいる。かの国における根深い無神論者差別に一石を投じたという意味で彼女の行動にはそれなりの敬意を表するが、私自身は無神論者でも有神論者でもない。私は……一人の敬虔な理性主義者にすぎない」
この日は、恐らく初めて講義に参加した学生だろう。奇特な者が、演説が終わった直後に手を挙げて、「逆説的に教授は神を信じているのですか?」と質問をした。
「神がこの世に存在するという前提がなければ、『神を殺す』ことは不可能ではありませんか?」
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