蛇神殺し編

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「君、名前は?」  神成教授は彼の講義で発言する者に対しては必ずそうするように、まず名前を尋ねた。 「輪島(わじま)です」 「地名姓だな。出身は石川県か?」 「いいえ」 「北海道?」 「行ったこともありません」 「両親の出身は?」 「二人とも神奈川です。自分も神奈川で生まれました」 「おじいさんとおばあさんは?」 「おばあさんは東京の人です。おじいさんはわかりません」 「石川だよ、きっと」  教授はそこで初めて質問を思い出した顔になって、「さて、私が神を信じているかという質問だったな」と話を戻した。 「信じているかどうかは重要ではない。現時点では私の知り得る限り、神の存在も──そして非存在も、証明されていない。何故だかわかるか?」  輪島という名の男子学生は、ちょっとした冒険心か、あるいは悪戯心で教授に質問を投げたのだが、逆に問い返されるとは予測していなかったのだろう。言葉に詰まった。教授は彼を待たず、結論を述べた。 「神とは、征服されざる自然のことだからだ。未だ人の理性によって解き明かされていない領域のことを指して、我々はしばしば神と呼ぶ。そして敬意を払う。まだこの世界に自分の知り及ばない奇跡の存在があることに神秘と救済を感じる」  そこで教授は外連味(けれんみ)たっぷりにため息を吐いた。 「だが間違っている」  教授は教卓から離れ、教室全体を改めて視界に収めんとするように、一歩後ずさった。 「かつての哲学者や神学者たちは違った。彼らは『神はいる』という有神論の立場を前提としていたが、それ故、神の御業(みわざ)を解き明かし、信仰を新たかにするために研究に勤しんだ。私と彼らの立場は違うが──しかし科学者として尊敬に値する」  神成教授はこれまでの全ての講義において、自らのことを科学者と自称している。 「この大学の事務局はこの講義に一般教養B、ハイフン、人類文化学というタイトルを付けているらしいが、私は科学者だ」  このときもまた繰り返し明言した。実際にカレッジサイトの彼の紹介欄に輝かしく並んでいる学位の殆どは──国外で取得されたものの含めて──理系分野が大半を占めている。どの分野でも第一線に上がれるほどの才覚を示しながら、広範に科学と呼ばれるものには全て手を付けて、気まぐれに研究テーマを変えていった痕跡の窺(うかが)える歪(いびつ)な経歴の持ち主である。薄汚く、世間離れした風体をしているが、それでまだ三十代だというのだから驚きだ。 「近世以降、行き過ぎた産業革命による大気汚染や、資本主義経済の綻び、戦争の勃発(ぼっぱつ)に対する反省から、この世界のありとあらゆる事象を理性により解き明かそうとすることは傲慢(ごうまん)であるとされ、ある程度を人間の理解の及ばない範囲のものとして、神の支配下に手放すのが美徳とされた」
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