蛇神殺し編

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「オゾン層の破壊も、大恐慌も、世界大戦も、我々の理性が知り及ばなかった故の失敗に過ぎない。私たちは進化も、発展も止めるべきではない。神に赦しを請う暇があれば過ちを正す努力を続けるべきだ。私たちは慈悲深く、支配的な神という偉大なる存在から独立すべきだ。オイディプスが彼の父を殺したように、私たちは神を殺すべきだ」  この辺りの説明で、幾人かの賢い学生は、これはやけに語彙が鋭いたとえ話に過ぎないのだと独りでに納得する。 「私の信頼できる学友たちは、神を殺すことに命を賭している。この大学に特任教授として私を招いたのもその内の一人だ」  最前列に座っていた輪島も何かをノートに書き付けながら、深く頷いていたが、神成教授は最早彼に気を向けていないようだった。質問の答えを求めることもなく、後列の数人に出席カードを回収して、ついでに扉の鍵も開けるように指示した。それを合図に何人かの学生が鞄に筆箱を戻し、帰り支度を始める。神成教授は気に留める様子もなく、一通り彼らが退室して、教室が静かになるのを待った。  最後列で全ての成り行きを見守っていた真鈴は、今日こそここで退室してしまおうか迷った。明日からは長期休暇に入る。今日の内に荷造りを済ませてしまえば、帰省がずっと楽になる。  そうこうしている内に、神成教授は本日の議題についての問いかけを始めた。 「さて……それでは。この中で幽霊を見たことがある人は?」  まだ出口に向かって移動している学生は数人いて、その流れに追いつくことはできたが、真鈴は筆箱を畳む手を止めて、教壇に真っ直ぐ視線を向けた。  一瞬、彼と目が合った気がしたが、すぐにそれは錯覚だと思い直した。教室の構造上、教授の側は教室全体を見渡せる位置にいるのだ。証拠に、教授はいつもの調子で質問を続ける。 「霊感があるという人間が友達にいるか? 彼または彼女を信じたか? 呪いのビデオの特集を見ると夜に一人でトイレに行けなくなる者は?」  輪島の介入によってロスした時間を取り戻そうとしているのだろう、教授は学生の挙手を促すパートを省いて、本題に入っていった。  尤も機会があったところで、こんな大勢の前で手を挙げて、「自分は幽霊を見たことがあります。俺の幼馴染の友人がそうです。十年前に死んだはずなのに、俺ともう一人の幼馴染の前にだけ毎年冬になると姿を現して、年越しを一緒に過ごすのが習慣なんです」と主張するつもりは、真鈴には毛頭なかった。真鈴は次に教授が黒板に向かったタイミングで、鞄を肩に掛け、教室を出た。E棟を出ると、鼻の先を凍らす風が吹いていた。  冬休みの到来だ。
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