幸福

1/2
前へ
/2ページ
次へ

幸福

 彼の人生は終わりを迎えようとしていた。  幼い頃から勉強ばかりをしていた春人は、有名大学に入学した。大学での生活はとても楽しいものだった。勉強も、友達と過ごす時間も、アルバイトに勤しんでいる時も、何もかもが楽しく感じられた。素敵な女性、鶫に恋をして、結婚という目標の為に、彼女と幸せな毎日を送るためにも彼は勉強を続けた。  大学を卒業して、大手企業に就職。それなりに高い金額かつ安定した収入も得られるようになり、春人は鶫にプロポーズをした。夢の国と呼ばれるテーマパークでの、サプライズプロポーズ。彼女が夢見たシチュエーションでの告白に彼女は、泣きながら頷いた。  期待に胸を膨らませ、大学時代からの彼女との、幸せな新婚生活が始まった。朝目覚めたらいつも隣に彼女がいて、仕事から疲れて帰ると、彼女が笑顔で迎えて癒してくれる。そんなラブロマンスのような甘い日々が。  しかし、幸せな日々はすぐに終わってしまった。  ある日突然、春人が仕事場で、意識を失い、病院に搬送された。診断の結果、彼は重い病気を患っていた。徐々に全身の筋肉が衰え始め、最終的には心臓を動かす筋肉までもが働きを停止させてしまうという大病。未だ治療法も確立されておらず、専門に扱っている医師も少ない。  二人は全国をまわり治療できる病院を探し回った。しかし、なかなか病院は見つからず、二人の懐からは、病気の症状を緩和する医薬品の代金だけが一方的に出ていくばかり。辛い闘病生活が続き、飲みたくもない薬を飲み続けても症状は悪化し、春人の右半身は動かなくなり、鶫なしでは生活できなくなってしまった。治療法の見つからない病気を抱え、妻との生活を削って、妻の給料は医薬品に変わって春人の中に消えていく。そのことに耐えられなくなった春人。鶫に対して申し訳ないという思いが重なり、精神的に追い込まれた春人は、自殺も考えた。毎日文句一つ言わず接してくれる彼女の笑顔を見るたびに申し訳ない気持ちと、最後まで彼女と生きていたいと思うようになってしまった。  ある日、いつものよう朝七時に目を覚まし、体を起こして、窓から見える電線の上でさえずるスズメを眺めていると、部屋の外から大きな足音を立て鶫が部屋のドアを開ける。 「春人くん! 病院見つかったよ!」  笑顔で涙を流している鶫が、春人のベッドの隣に腰掛け、春人の膝の上にタブレット端末を置く。  東京湾に浮かぶ小さな人口島にある研究機関。そこへの入院案内だった。春人はこの施設を知っていた。設立当時に組まれた特集記事を読んだことがあったのだ。その記事では、特に医薬品の開発を行っている研究所だと見た記憶があり、入院の案内と言われても、いまいち、ピンと来なかった。しかし、この辛く長い闘病生活を終えられるなら、鶫にこれ以上の迷惑を掛けないで済むのならなんでもいい、と藁にもすがる思いで案内を受けた。機関にメールを送ると、機関の方から春人の人生を振り返る調査書のような書類が自宅に送られてきた。  後日、入院のための準備を鶫と進める。下着、洋服、歯ブラシなどの生活必需品のほか、愛読書や二人の思い出が詰まったアルバムなどを一つのカバンに詰め込んでいく、その中で、春人は自分の人生を振り返る。鶫の知らない幼少期のこと、二人が出会った大学時代の思い出を二人で語った。いつもよりも豪華な夕食を食べ、翌日の出発までの時間、鶫と思う存分過ごした。  出発の時。黒いスーツを着た男性が、鶫に代わり春人の車椅子を押して車に連れていく。これからこの車で東京港へ向かい、そこから船で人口島まで向かう。 「行ってきます……。」  不安と期待を胸に秘め、何とも言えない表情で、車の窓から鶫に向けて手を振る。その一方で鶫は、今まで見たこともないような笑顔で春人を送り出した。 「脳の状態を確認しますので、そちらの台に横になってお待ちください。」  言われた通り、検査台に横になる。 「少しチクッとしますよ?」  医者の言葉のあと、すぐに腕に小さな痛みが走る。おそらく注射を打たれたのだろう。一瞬だけ痛みを感じたが、その二秒後には痛くなくなった。  背中がだんだんと温かくなり、眠気が春人を襲う。 「薬の効果で少し眠くなってしまいますので、そのまま眠って頂いて大丈夫ですので、リラックスなさってください。」 「はい。じゃあ……お言葉に甘えて。」  ゆっくりと目を瞑る。自分の身体の周りの機械が動き始めたのを音で感じながら、春人は眠った。  気持ちよく眠っている所を誰かに肩を叩かれる。 「春人くん、起きて。もう帰る時間だよ?」  薄っすらと目を開くと、目の前には鶫の姿が。それも今の姿ではなく、大学時代の鶫の姿が。 「また夜中まで勉強してたんでしょ? ちゃんと夜は寝ないと体に悪いよ」  夕焼けの太陽の光が鶫を照らしている。目をしっかりと開いて周りを見渡すと、そこは大学のカフェテリア。自分たちの他にもちらほらと学生の姿が見える。春人のテーブルには、携帯端末と教材が置かれている。 「まだ寝ぼけてるの? ほら帰ってこの間の映画の続き見るんでしょ? ほら、帰ろ。」  そのまま鶫に手を引かれ、カフェテリアから出ていく。手を繋いで、銀杏並木の歩く。春人が寝てる間に見た、壮大な夢の話をしながら二人は、家路を急ぐ。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加