人のいない祇園祭

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人のいない祇園祭

     電車が地下に入る前に、私は携帯でメールを送った。  当時はスマホなんて存在せず、今でいうところのガラケーでメールを送り合う時代。その携帯電話すら、私が使い始めたのは、恋人が出来てからだった。 「今、帰りの電車の中。ちょうど桂川を渡るあたり」  送信ボタンを押してから、顔を上げて、窓の外の景色を見る。もはや夜なので、川面に視線を向けても、ただ暗い水しか見えてこない。  京都市内で暮らす私にとって、桂川は「少し遠いけれど自転車で遊びに行ける場所」という認識だった。実際、恋人の麻衣子と二人で、釣りに出かけたこともある。私の趣味に付き合わせてしまったわけだが、あの時は交際を始めたばかりだったこともあり、行き先がどこであっても楽しめる時期だったらしい。サイクリングかハイキングのような気分で、彼女も喜んでくれたように見えた。  終点の京都河原町駅で、電車を降りる。  地下から階段を上がって、四条通りに出ると、思ったよりも閑散としていた。祭りの時期だから通りは賑やかだろうと想像していたのだが、さすがに時間が遅すぎて、もう出店(でみせ)も全て閉まっているようだ。  そう、今は祭りの時期。京都最大の祭りといっても過言ではない、祇園祭が開かれていた。  祇園祭。  そのメインイベントは、山鉾と呼ばれる山車(だし)がズラリと並んで、京都市内の大通りを巡業することらしい。  残念ながら『らしい』という伝聞の形になってしまうのは、何年も京都に住んでいながら、私自身は一度も観に行ったことがないからだった。「動く美術館」という異名をとるほどの豪華絢爛パレードだと聞くが、忙しい昼間に行われるイベントである以上、なかなか見物に行く気にはなれなかったのだ。  ただし、この山鉾巡業だけが祇園祭ではない。宵山とか宵々山とかいって、その前夜祭みたいな感じで数日――確か三日間――に渡って行われるイベントもあり、私には、むしろこちらがメインのように感じられていた。  夕方から歩行者天国となる四条通りに、山鉾がデンと設置されて、たくさんの露店も建ち並ぶ。その数は本当に『たくさん』であり、四条烏丸が中心なのだろうが、四条河原町まで広がっているくらいだった。  もちろん、いつもならば四条河原町から四条烏丸は、簡単に歩ける距離。だが、この時だけは違う。スイスイ歩くことは、絶対に不可能。「こんなにも京都に住んでいたのか?」と驚くほど大勢の若者たちが、この一画に集まってきて、想像を絶する人混みとなるのだった。  もしかすると「京都は大学が多い街」というのを一番実感させられたのが、祇園祭の宵山だったかもしれない。  数時間前、私が大阪へ向かった時とはまるで違う、静かな四条通り。  自転車を駐めた場所に向かって歩き出すと、携帯電話が鳴る。番号を見ると、恋人からの電話だった。 「もしもし。ちょうど今……」 「私メリーさん。今あなたの後ろにいるの」  私の言葉を遮って、変な冗談を言い出す麻衣子。  まさかと思いながら後ろを振り向き、さらにキョロキョロしていると、本当に彼女が立っているのが、視界に入ってきた。さすがに、真後ろではなかったが。 「おかえりなさい」 「ああ、ただいま」  まだ家に帰り着いたわけではなく、自転車で十数分かかるが、とりあえず、そう返しておく。  続いて、 「ごめんな。用事がなければ、二人で祇園祭、見て回れたのに……」  と、謝罪の言葉を口にする。  わざわざ四条まで出迎えに来たのだから、私ほどではないにしろ、麻衣子の側にも「祇園祭、行きたかった!」という気持ちがあるに違いない。  少なくとも私の方では、その後悔は激しかった。なにしろ昨年までの私は、友人同士のグループで宵山に繰り出すことはあっても、恋人と二人で宵山デートを楽しむ機会なんて一度もなかったのだから。 「いいわよ、別に。それより……」  自転車のある方角とは反対に視線を向けながら、麻衣子は微笑んだ。 「……少し二人で歩きましょうよ」  人のいない、夜の四条通り。  まだ屋台のスタンド自体は並んでいても、すでに店は閉まっている。それは、もはや買いに来る客はいない、ということを意味していた。  少し前までは、大勢の若者たちが祭りを楽しんでいたのだろう。中にはマナーの悪い者もいたらしく、道路のあちこちにゴミも放置されていた。おそらく宵山のために、臨時のゴミ箱も用意されているというのに。  だが、悪いことばかりではない。通りに鎮座させられた山鉾たちは、見る者がいなくなっても、堂々と存在を主張していた。「動く美術館」は、動いていなくても、立派な芸術品だったのだ。 「こうして見比べると……。山鉾って、本当に一つ一つ違うのね」 「ああ、そうだな。これくらい誰もいない方が、歩きやすいし遠くまで見えるし、かえっていいかもしれない」  麻衣子に返しながら、ふと心の中で思う。  去年までの私は、せっかく宵山に来ても、屋台で食べたり遊んだりするのがメイン。山鉾そのものには、あまり注目していなかった気がする、と。  しんみりとした楽しさ、という表現は、少し変かもしれない。  だが実際、四条河原町から四条烏丸まで、恋人と手を繋いで歩きながら、私は幸せだった。すでに『手を繋ぐ』以上の肉体的接触を経験している仲であっても、この時ばかりは、何か特別だったのだ。  憧れていた宵山デートとは全く違うが……。これも一つの宵山デートなのだろう。  この年の祇園祭は、私が京都で経験した中で最高の祭りだった、と今でも思っている。 (「人のいない祇園祭」完)    
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