6人が本棚に入れています
本棚に追加
第一幕『カミさんのはなし』
ここは辺境。底無し沼の底近く。無限に続く有限の所。矛盾した言葉の裏側。あやしい。おかしい。どうしようも無い世界。魑魅魍魎の蔓延る世界に、あなたは足を踏み入れてしまったのでございます。うっかりうっかり。なんということでしょう。あなたはラッキーなのです。とても幸運でございます。退屈な時間に驚きの新展開とも言えるのでございます。ねじ伏せられた怒りをここで爆発させても良いのです。真実の声はきっとそこにあるのでございますよ。
申し遅れました。私は、こやけと申します。こやけでございます。私は人間の姿をしておりますが、夕焼けの精霊でございます。崇拝すべき神霊の一種でございますよ。今は、楽しい楽しい劇場の案内役をしております。私は今とても気分が良く、楽しいので二回言いました。エエ、楽しいので。
さて、本日はこんなに怪しげな劇場へようこそ! ようこそ! ようこそ!
ここは奈落、この世の終点、おまけにおまけに! 天国でございます! 天国への階段はあちら! ついでに地獄の入り口はこちらの井戸になっておりますよ。是非是非覗いていってくださいませ。全て自己責任でお願い致します。私は責任を取りたくないですからね。
改めまして。私には、主人がおります。とても悪趣味な主人でございます。主人は常にひきこもっているのです。可哀想なのは主人にございます。因果がめぐり、ついには外に出られぬお身体に……と、憐れんだことは一度も無いのです。主人の名は景壱と申します。彼は雨の眷属なのです。そして雨の末裔です。彼は遠い昔、雨の神でした。異界の神ですので、私達とは異なる性質を持っているのです。
そして、彼はじっとしていると見目麗しいお人形なのでございます。一言も話さず、息をしているかもあやしいくらいに、静かにおられますとお人形と大差つきません。しかし、触れると確かに陶器とは異なった質感をしておりますし、あたたかいのでございます。そして、どうしようもないくらいには、可哀想なお人形でございます。嗚呼、憐れむのは今でございましょう。矛盾するのがこの世の理。
彼は可哀想なお人形。存在しない存在を必死に証明しているのでございます。何を言っているか意味がわからないですって? ウフフ。大丈夫でございますよ。わからないことは、いつしかわかるものでございます。誰かの想いをびっしりばっしりエブリシング詰め込んだ狂気のハコ。劇場でございます。
ここは人生劇場。誰かの思い出が詰まったハコ。誰かの時間が入ったハコ。小さな小さな、そして大きなハコでございます。ここでは誰かの人生の物語を観劇できるのでございます。連日の満員御礼は、とてもありがたいことでございます。
まず私が一石を投じさせて頂きましょう。一石でございますよ。
一石あれば、鳥を二羽落とせますからね。
ここで笑わなければ、もう笑う所はございませんよ。あはあは。あっはっはっはっは。
それでは、一席させて頂きます。
昔から、流行り廃りなんてことを言いますけれど、これは何も人間ばかりじゃなく神仏、それに私のような神霊にもありまして、神様と言っても中にはありがたくない神様もあります。
特に疫病神、貧乏神、死神なんぞは、どうも人間達には歓迎されません。それでも、困った時には神頼みだとかで頼ってくる人間なんぞもいたもので、イヤハヤ、これには、私も困っております。
サテサテ、こんな話がございます。
ある所に、農業に勤しむ男がおりました。
男は柘榴の爆ぜたような吹き出物が多く、固い二重顎にぽってりした一重瞼。お世辞にも三枚目とも言えないような、不細工な面をしておりました。おまけに獣のようなにおいを放っておりましたので、村の若い女からは、気味が悪い、気持ち悪いと言われておりました。
それでも、男は生真面目で、誰よりも熱心に働き、誰よりも信心深く、毎日神社へお参りに行くものですから、村の中ではそれなりに評判が良かったのでございます。
ある日、男の元に「金をいくらか貸して欲しい」と友人が訪ねてきました。旧友の頼みを無下に断ることもできず、男は金を貸します。
友人は「必ず倍にして返すから」なんぞと言って、去っていきました。
しかし、待てども暮らせども、友人は金を返しに来ないのです。
いつしか時が経ち、男の元に美女が嫁いでまいりました。
この美女は、どこからか男の噂を聞きつけ、実際に男に会い、心底惚れて、嫁いだのでございます。
どうしようもないくらいに不細工な男の元に、美しい女が嫁いできたと聞きつけ、金を貸した友人が息子を連れて訪ねてきました。
男はまず貸した金についての話をしたのでございますが、友人は慌てたように言うのです。
「美味い物を持ってきたんだ」
「ほうか。そんなら、カミさんに預けてくれ」
金の話を子供の前ではしない。
そういう優しさだと思った友人は、息子を男のカミさんに預けるのでした。カミさんは美しく微笑むと一礼して、息子の手を引いて奥へと引っ込んでいきました。
「して、金はどうした?」
男が尋ねると友人は言うのです。
博打で儲けて返そうとしたが、全額スッた。だから、文無しだ。カミさんにも逃げられた。それで、またお前を頼って来た。美味い物も持ってきた。
そう言って、友人は甘柿を二つ並べるのでございます。
男は甘柿を持つと、ニンマリ笑います。
その笑顔が不気味で、友人に恐怖心を与えるのでございました。
「ほうかほうか。そいつは大変だったナ」
「旦那様。夕餉ができましたよ」
「おお! 持って来い!」
カミさんは鉄鍋を持って来ました。見るからに重そうな鍋ですが、特に重たそうにする仕草も無く、卓へと下ろされました。ゴトゴト、地獄の池のように煮え滾る鍋からは、獣の香りがしておりました。
すぐに椀に盛り付けられ、男は友人に渡します。友人はゴクリッと喉を鳴らし、椀の中の肉を掴み、口へと放り込みました。
肉はとろけるように軟らかく、唇に触れると吸い付くように心地良いのでございます。友人は目を輝かせて言います。
「これは美味い!」
「ありがとうございます」
カミさんは微笑みます。ここで、友人は辺りをキョロキョロと見渡して言うのです。
「ハテ? 俺の息子は何処に行ったんだ?」
「あらぁ。息子さんなら、こちらにいるではありませんか」
カミさんは肉を食い千切り、鍋を指すのでございます。その口には鋭い牙が生えそろっており、長い髪で隠されていた額には、角がはえておりました。鬼神とはこれのこと。
「とても美味い物を持ってきてくださり、ありがとうございました」
おあとがよろしいようで。
引き続き、人生劇場をお楽しみください。
最初のコメントを投稿しよう!