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第二幕『トーハのドファシラ』
ある日この街にやって来たんだ。
聞いたことのない音色を響かせ、ららららら、舌を回して、歌う人達。楽しい音色を響かせる愉快な音楽隊。僕はそれを屋根の上からずっと見ていた。
小鳥がぴちゅぴちゅ鳴いて、風鈴が子守唄をちりりりんと歌っていた。大人達は、見た事も聞いた事も無いその人達をジッと見つめて、ぎろりと睨んでいた。
それでも、子供達は、愉しそうに音楽隊の列の後ろに並んで、行進をしていた。
「誰もまだ見た事の無いあなたへと仕立てましょう」
音楽隊の一人が僕のいる方を見ながら声をあげた。
ぷあーぷあー。ラッパを奏でる傍らの人が笑む。
「誰もが振り返り、あなたへと見惚れよう」
僕は大人になるのが怖くて、背中の羽根を千切って、羽搏く勇気を消し炭にした。
朗々と歌が響く。魔法のような言葉は僕の心へすぅっと染み込んで、溶けていく。僕と一体になっていく。
僕が屋根から飛び立とうとしたら、大人達がギラギラ光る血走った眼をこちらに向けていた。
僕は再び背中の羽根を千切る。
無理して大人にならなくて良い。
大人になりたくない。
怖い。
音色はまだ響いている。ららららら、舌を回して歌っている。
ぷあーぷあー。ラッパの音も響いている。
しゃんしゃんしゃん。鈴の音も鳴っている。
ぐるぅり、ぐるぅり、風車が亀の歩みよりも遅く回り続けている。
大人達もあの不思議な音楽隊を、子供達の列を追って、行進を始める。
楽しい素敵な音が鳴る。
ひとり、またひとり、列は長くなっていく。
僕は屋根の上で立ち尽くす。
背中の羽根はすっかり抜け落ちて、羽搏く事はできそうにない。大人にならなくて済みそうだ。
眼球をひん剥けば、僕と同じような年頃の子供が屋根の上で手を振っていた。背に、太陽にジリジリ焼かれたような色の翼。僕よりも大きくて、羽根を一つ毟れば、ジュウ、肉の焼ける香りが風に乗ってやってきた。ぐぅうううう。僕のお腹が鳴る。
屋根から屋根へ、びゅううん。もう翼の無い僕だけど、子供のいる屋根へと三十八秒で辿り着いた。八十六秒前の僕だと思いもしないことだ。
「やあやあ。スラカさん。きみは、あの人達にはついていかないのかい?」
「あれだけの数の大人達に睨まれると、羽搏く翼も羽搏かないって。トーハさんも同じだろ?」
「いいや。僕は大人になりたくないだけサ」
バサバサバサバサ。スラカさんの翼が太陽を覆い隠すように、大きく拡がる。ジリジリ焼かれたような色の翼から、真っ白い骨が、ビョンビョン飛び出ている。
「だから、トーハさんは羽根を千切っていたのか」
「そうサ。こうすれば、ドロンドロンに行かなくて済む」
「確かにドロンドロンに行かなくて済む。きみの考えは、まっこと正しい。でもでも、パルリパルリの夜にサムビジィを食べなければいけない」
「僕はサムビジィが好きだから良いんだ。あれは酸っぱくて、甘くって、まっことに不味い。あれほど不味いものはこの世にないって思う。でも、あの不味さが僕は好きなんだ」
「そうか。そうか。おれは、サムビジィよりも、エネリンカの蜜の方が好きだ。ほら、トンギルマルサで食べたろ?」
「いんや。僕はルァガットの出だから、トンギルマルサに行ってないんだ」
「おお。そうだったか。懐かしい顔だから、てっきり、トンギルマルサで一緒だったかと思っていた。きみとは、ボネボネガーナで一緒だったか」
「忘れられたかと思っていた。きみとはボネボネガーナのポンガルトンで一緒だったんだ。いやいや、懐かしいな。あれは八十四千二百九十二時間前ぐらいだっただろうか」
「相変わらず、きみはビョウダンダンだ」
「褒め言葉として受け取っておくサ」
スラカさんは首をぐるぐる回して、ぼとぼとぼと、息を零していく。こうして話をしている間にも、大人達の列が長く、長く、どこまでも果てが無いように伸びていた。あのまま伸び続けていれば、モロンワのサイコニアに届くかもしれない。
全ての大人達が音に誘われるままに前へ前へ歩みを進めている。ザッザッザッザッザッザ。ぷあーぷあー、ららららら。ボンボンボン、蒸気を上げながら、鉄の乗り物が追っていく。あれにも大人が乗っている。旗を振りながら走っていく。
「オンヤ。スラカとトーハ。列に入らないのか?」
ドンゲロダンのおじさんが僕に声をかける。僕は背中を見せた。ドンゲロダンのおじさんは納得したように、前足を打つ。スラカは黙っていた。するとドンゲロダンのおじさんは、スラカの翼を引きちぎった。ばしゃあああ……。噴水だ。赤い噴水だ。
ドンゲロダンのおじさんはカタカタ笑った。歯車が胸から零れ落ちそうになっていた。気付いてすぐになおすと、鉄の乗り物を呼び止めて、スラカを荷台に括り付け、行ってしまった。
ぎろり、最後に僕を睨みつけて、行ってしまった。
「誰もまだ見た事の無いあなたへと仕立てましょう」
「誰もが振り返り、あなたへ見惚れよう」
遠くから音楽隊の声がする。だけど、ついていけない。ついていかない。
いつしか、街は僕だけになっていたとさ!
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