第三幕『月夜の雨、君と踊るアリア』

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第三幕『月夜の雨、君と踊るアリア』

 星空の傘に月の雨が降り続く。何もかもが静寂に包まれ、闇がゆっくり降りてくる。そこで笑うのは目深帽子。泣き虫の少女を抱き上げ、しずかに笑った。  互いの呼吸が心地良かった。ただ生きているだけでしあわせを感じられた。両手の指で数えられないほど、たくさん。たくさん。しあわせだった。  ある日、目深帽子は言った。 「太古の昔から光と闇は存在する。ある日、闇は大罪を犯し、光の前に姿を出せなくなった。しかし、常に闇は光と共に在る。眩しい光が在る所には、暗い闇が存在する。いつか眩い闇がこの世に現れる。それがこの遊戯を始める合図。雨音の調べと共に、夕焼けの彼方へ旅立て。未来はそこに」  目深帽子が姿を消して十年後。泣き虫の少女の元に一羽の烏が現れた。 「聖女アリア、時は来ました。運命の旅へ出ましょう」  烏はそう言うと墨を落としたように黒い翼を広げる。泣き虫の少女――聖女アリアの瞳は強い意志に燃えていた。 姿を消した目深帽子と未来を捜すために、アリアは旅立つ。  ――無力なこの手を差し伸べれば、いつか誰かを救えるの?  アリアは『聖女』としての務めをしたことが無かった。どうして自分が聖女と呼ばれているかの理由さえはっきりとわかっていなかった。けれど、他人の痛みを人一倍に感じられた。傷ついた人々を癒すことは幼き頃からしていた。痛みに触れて、泣くことが何度もあった。その度に目深帽子が抱き締めてくれていた。  ――あの人を抱き締めたこの腕なら、哀しみも抱き締められるわ。  暗い森の中を歩き続ける。月は叢雲に隠れている。美しい満月を覆い隠す厚い雲。つらい歴史を隠すように潜む。  雨が降り続く。白いレースのカーテンがかかったように美しい雨だった。葉から地面へ零れる音さえも何かの曲を奏でているかのように美しい旋律になっていた。  ――雨音の調べと共に、夕焼けの彼方へ。  目深帽子の言葉を復唱する。何度もつぶやく。どういう意味かよくわかっていなかった。それでも、夕焼けの彼方へ旅立たなければならない。心がそう訴えていた。何も知らなかった自分に知識を与えてくれたのは、目深帽子だ。聖女の務めを教えてくれたのも目深帽子だった。  彼の優しい歌声を思い出しながら、彼のよく歌っていた曲を口ずさむ。背徳は虚飾。誰にでも優しいあの人を誇りに思ってしまう。あの人の瞳にずっと映っていたかった。  西へ、歩みを進める。やがて見つけた真白の神殿。巡礼者はいないようで廃墟のようだった。外見は美しく取り繕っているが、内側はおそろしく朽ちていた。植物の蔦が壁を這い、床には金属片や歯車が転がっていた。だが、美しかった。渇き切った瓦礫の神殿だというのに、アリアは心を奪われ、恍惚の表情を浮かべていた。 「ようこそ! 懐かしき我が友よ!」  声が上から降ってきた。アリアは天を仰ぐ。目深帽子だ。けれど、アリアのよく知っている彼の姿ではなかった。逆さまで彼は笑う。笑顔はあの頃となんら変わりない。だが、変わってしまっていた。  顔はひび割れ、あちこちの塗装が剥がれていた。ひび割れの奥を覗いたなら、別の世界へ引き込まれてしまいそうなほどに何かが蠢いているように感じられた。天のように透き通った瞳は健在だったが、片方の目玉が抜け落ちていた。あちこちに手足を散らかし、腹からは歯車や花をばら撒いていた。あの頃の彼ではないが、よく知っている目深帽子だ。アリアは込み上げてきた涙を我慢しつつ、目深帽子の頭の下へ向かう。蜘蛛のように天井から吊られている彼は上機嫌で口を開く。 「よく来てくれた。我が友よ」 「目深帽子さん。お久しぶりです。ああ、こんなに傷ついてしまって」 「壊れてしまうのは世の理。しかし、再生も容易い。あなたが俺の為に、俺の宿る器を用意してくれれば、俺は再びあなたに知識を授けよう」 「機械仕掛けのあなたの夢をわたしが叶えましょう」 「それなら、俺はあなたにこれを」  目深帽子はちいさな箱を取り出す。指輪を入れるのにちょうど良いサイズの箱だった。アリアは破顔し、頬を薔薇色に染めて箱を受け取った。  箱を開く。眩い闇が彼女を包み込む。視覚を奪われた彼女はバランスを失い、床に倒れる。床に散らばったままの歯車や金属の破片が身体に突き刺さり、声にならない悲鳴をあげる。頭上から笑い声が降ってくる。じゃら、じゃら、金属の触れ合う音が聞こえた。そして、コツン、と革靴の足音が響いた。 「うん。聖女様。この世は善人だらけではない。悪人だって大多数存在する。そして、俺は――どちらかというと悪人に分類される。人やないけれどね。それでは、器は確かに頂いた」  触れ合う事の奇跡。踊り続けよう、月夜の雨のアリア。
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