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第六幕『未知の料理』
時間は進んでいた。世界は確実に仕事をこなしていた。
寸胴鍋に米のとぎ汁を入れながら青年は歌う。
ひとつ、混ぜるは自分のため。
ふたつ、混ぜるはあなたのため。
みっつ、混ぜるは――食材のため。
歌いながらも青年は手を休めずに作業を続ける。赤黒い肉の塊をまな板に乗せ、一口大に切り分けていく。赤身と脂身のバランスを確認しながら次々に強火にかけた鍋に放り込んでいく。全ての肉を鍋に入れたところで蓋をした。地獄の池のようにぐつぐつと煮えたぎったところで、蓋をずらして、弱火にする。大量の灰汁がわき、雲海のようになっているが、彼は気にせずに恍惚の表情で火を眺めていた。
そのまま時計の長針が半周した頃。彼は火を切り、蓋を閉じてから、一度キッチンを後にした。
それから再び時計の長針が半周した頃。再び火をつけた。彼はその行為を二度繰り返した後、鍋の中に水を差し、手で触れる程度の温度になった時分に肉の表面を優しく洗ってからバットに移し替えた。
肉を調理している間に隣で茹でていた卵の殻を剥き、珠のように美しい肌を露出させて肉の隣へ。
洗った鍋に再び水を入れ、醤油、料理酒、みりん、砂糖を入れ、よく混合した後、先程下処理をした肉を入れ、ついでに皮ごと千切りにした生姜を入れて煮ていく。ゆで玉子も共に煮込むことにした。
再び長針が半分程進むまで待ち、火を止める。煮汁が少なくなっていたので、キッチンペーパーを被せて、ゆっくり、粗熱が取れるまで待った。
待っている間に彼は放置したままのシンクを洗うことにした。排水口には細い髪の毛のようなものが絡み合って詰まっていた。それは水の動きに合わせて揺らめいている。まな板も包丁も赤く、置かれたタライの水も赤く染まっており、噎せ返りそうなほどの鉄の香りがたちこめていた。ごろり、転がる首を抱え上げ、彼は冷蔵庫を開く。整頓された庫内には、どれが何であるか、いつ入った物か、いつが賞味期限か等しっかり記されていた。旧型ではあるが、大容量の冷蔵庫に、首は簡単に収まった。他にも枝肉が収まっていた。牛、豚、鶏、羊、鴨、馬、ロバ、ラクダ、ホロホロチョウ、ありとあらゆる肉がラベル付けをされて収まっている。今入れられた首には、はっきり█████と記されていた。
彼は歌いながら洗い物を始める。詰まった細い髪の毛のような物を取り除き、次亜塩素酸ナトリウムを排水口に流す。まな板や包丁は中性洗剤でよく洗い、まな板は毛先の硬いブラシで傷の部分に入った汚れを掻きだすように傷の目に沿って洗浄した。
その後、排水口と同様の次亜塩素酸ナトリウムを塗抹し、五分間放置する。放置した後は、流水で三十秒以上洗い流した。まな板は美しい白さを取り戻し、排水口からは血なまぐさい香りが消えていた。しかし、洗剤の独特の香りが鼻についた。
部屋の換気をすっかり終わらせた頃には、粗熱も取れていた。
先程冷蔵庫を開けた時に見つけたオクラとチンゲン菜を取り出し、別の鍋で湯を沸かして塩を加え、さっと茹でた。すぐに氷水を張ったボウルに浸け、鮮やかな緑色を引き出す。
粗熱の取れた肉の鍋から玉子を先に取り出し、半分に切る。それから肉を取り出し、器に盛りつけ、練りからしを添え、煮汁を全体にかけた。ハサミで切ったオクラとチンゲン菜も添えて盛り付ける。
「景壱君。ごはんできましたか? ごはんできましたか?」
「今ちょうどできたところ」
「美味しそうです。今日は何のお肉ですか? うさぎですか? ねずみですか? にんげんですか? それとも――宇宙人ですか?」
「うん……。宇宙人からしたら、こやけも俺も宇宙人やと思うけど」
「あはあは。そうでございますね。宇宙人のお肉なんて稀有ですね! レアですね!」
「そう。これは宇宙人でも、特別美しい宇宙人の肉。一般的には、美少年と言われるような顔の造形をしていた」
「フムフム」
彼――景壱は冷凍庫からカチコチに凍った飯を取り出す。包んでいたラップを剥がし、大きめの茶碗に乗せ、ラップをふんわりかけてから電子レンジに放り込んで一分セットした。
ジー……低い音を鳴らしながら庫内のテーブルが回り始める。
「チン! チンって鳴りましたよ! レンジがチンですよ!」
「そうやね。でもまだ冷たいから待ってて」
景壱は飯を一度取り出し、ほぐしてから再度レンジに入れた。再び一分セットされている。
「できましたか? ごはんできましたか?」
「うん。解凍された。……丼にする? このままで良い?」
「このままで良いのです! でも、お味噌汁も欲しいのです! サラダも欲しいのです!」
「それならもうちょっと待ってて。ご飯ちょっと冷めるけど」
「私は良い子なので待っているのです!」
こやけの返事を聞くと景壱は鍋に水を入れ、割った日高昆布を沈めて弱火で出汁を取り始める。沸騰直前で昆布を取り出してシンクの三角コーナーに投げ入れた。次に茶こしに削り節を入れて、同じ鍋に沈め、黄金に輝く合わせ出汁を作った。出汁が完成したところで茶こしは取り上げられ、削り節は三角コーナーに入れられ、茶こしはタライに置かれた。
冷蔵庫からキャベツ半玉を取り出し、縦横四等分に切る。麻袋からタマネギを一玉取り出して細切りにした後、先程の出汁の鍋にキャベツを敷くように入れ、その上にタマネギを入れて、煮込んでいく。キャベツがしんなりしたところで、自家製ベーコンを食べやすい大きさに切ってから鍋に入れた。
「景壱君。そのベーコンは何のお肉ですか? にんげんですか?」
「宇宙人」
「宇宙人ですか! 今日は宇宙人がいっぱいですね!」
こやけは嬉しそうに赤い瞳を輝かせて席についている。彼女の前には魚の骨をごま油で揚げて作ったチップスが置かれている。彼女はそれを嬉しそうにバリバリ咀嚼していた。ただの魚の骨を食べているだけであるのに、見る者によっては、空恐ろしいものを食べているかのように見えてしまいそうなほど奇妙な音が鳴っていた。
その間も景壱は手を動かしていた。確実に料理を仕上げようとしていた。味噌を溶き、入れていた。カットネギを散りばめ、ひと煮立ちしたところで火を止めた。器に盛りつけて、こやけの前に置く。
「美味しそうです! あとはサラダですね?」
「美味しそうやなくて、美味しいんよ。……やっぱりサラダも欲しいんやね。わかった。今すぐ作るから待ってて」
景壱は再びキッチンに引き返す。冷蔵庫から白ネギとみょうがとレタスを取り出し、白ネギは半分に切って、芯を取り除いた後、千切りにして水にさらし、水気を切った。みょうがは斜め薄切りにする。レタスは食べやすい大きさに手でちぎった。耐熱容器に料理酒、みりん、砂糖、醤油、豆板醤を入れてよく混ぜ、ラップをふんわり被せてレンジで一分間加熱する。フライパンにサラダ油を入れて熱し、肉を入れて、色が変わるまで中火で炒めた。甘い芳香が蒸気に乗って運ばれて来る。こやけが目を輝かせつつ骨チップスを口に運んでいた。
器にレタスを盛り、肉、ネギ、みょうがの順に乗せ、レンジで加熱したタレをかけた。
これをそのまま彼女の前に置く。
「はい、サラダできたで」
「わぁい! お肉のサラダなのです! 今日はたくさんお肉を食べられる日なのです!」
「冷蔵庫がいっぱいになってきたから、消費せなな。味噌汁に七味と黒コショウはお好みでどうぞ」
「いただきます!」
両手の皺を合わせるようにした後、元気よく声を出す。
左手に箸、右手に茶碗を持ち、こやけは食事を始めた。
とても腹が空いていたようで、まるで飢えた動物のようにガツガツ食いついている。凄まじい速さで口へ物が運ばれていく。
「きちんと噛んで食べな喉に詰まるで」
「だいじょうぶなのれす!」
「そのまま喋らんくてええよ。話しかけた俺も悪いけれど」
きちんと噛んでいるか心配になった景壱は声をかける。
彼の前には、こやけに比べると控えめな量の料理が並んでいた。全てが彼女に比べて半分程の量だ。景壱は右手で箸を左手で茶碗を持つと肉を摘みあげた。やわらかく煮込まれた肉から汁が滴っている。食いつく仕草が芸術品のように美しかった。
景壱が優雅にゆっくり食事をとっている一方、こやけは既に食べ終えていた。
空になった皿は「鳥が食べた?」と尋ねたい程には散らかっていた。更に獣が何かを引き摺って隠したかのような茶色い跡が残っていた。テーブルマナーというものを彼女は知らないようだった。
「ごちそうさまでした! 美味しかったです」
「おそまつさま。気に入ってくれたんやったら俺も嬉しいし、食材もあの世で喜んでるやろ」
「宇宙人の命に感謝しないといけませんね」
「そう。命を頂いて俺らは生きてるんやからね」
「景壱君の場合は、存在証明さえされれば良いのでしょう」
「人間の姿を模しているから、俺も腹は空くし、睡眠が必要になる」
「不眠症のくせに」
「ま……そういうこともある。ほら、皿を片付けて」
「はい! 私は良い子なので、皿を片付けるのですよ!」
こやけは食べ終わった食器類を全てシンクへと運び、洗い始めた。
「さて、この肉は、何の肉やったんやろね?」
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