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序幕
Ω性の人生はあまり幸福とは言えない。最も受動的な性であり、3ヶ月に1度は発情期(ヒート)を迎え、子を孕むことしか考えられなくなる。そのため、仕事はおろか、日常生活もままならない。抑制剤はあるものの、効き目は個人差も大きかった。
その体質から、古代より慰みものにされ続けた歴史があり、ようやく近代で社会的な地位を認められつつある。けれど、まだまだ社会的地位は低いままであり、ヒエラルキーの最下層から脱することは困難である。
Ωの唯一の幸福は、富裕層やエリートに多いとされるαと、運命の番となることであり、番にさえなれば、発情期は抑制され、βには味わえない相思相愛の幸せな家庭を築くことが可能である、などという、ロマンチズムにも似た呪縛だけだった。
けれど、だからこそ、番に棄てられたΩほど、惨めなものはない。
番を失ったΩの男の話をしよう。
彼の番は、実兄だった。αの父と、Ωの母との間に生まれたのは、αの兄とβの弟である彼だった。父はαらしいαで、個人病院というは巨大過ぎる総合病院の理事長であり、家には不在がちだった。母は優しい女性で、いつも美しい兄弟を慈愛に満ちた笑顔で包んでいた。
優しく聡明なαの兄は、小柄で愛らしいβの弟を疎むこともなく、成績が芳しくなかった弟の勉強をよく見ていた。少し劣っている弟を放っておけない性分だったのだろう。
兄を慕う弟。
弟を見守る兄。
誰もが認める理想的な兄弟だった。
悲劇が起きたのは、彼が中学2年生に進級した真新しい春のことだった。弟の部屋にある窓からは、青空を背景に、桜の花びらが舞い躍っているのが見えた。心地の好い、暖かい春の日和だった。
彼等はいつものように、弟の部屋で、弟の宿題に頭を悩ませていた。
幼少期に受けた検査では、彼は確かにβ性だった。彼等の家族は、それから、弟である彼の性別を疑いもしていなかったため、突如、迎えた発情期に、彼は身を守る術が、まるでなかった。
発情期のフェロモンを無防備に垂れ流し、αである実兄を、無意識に誘惑した。兄もまた高校2年になったばかりの若く、性に対する抑えの効かない獣だった。初めて嗅いだ抑制剤なしのフェロモンは劇薬でしかなく、彼の理性は完全に消し飛んで、Ωである実弟に食らいついた。
不幸な事故だった、と話を終えるには、あまりにも悲惨だった。
優く聡明な兄が、飢えた獣に豹変し、弟を押し倒して馬乗りになると、衣服を無理やり剥ぎ取った。まだ発達途中の幼さの残る身体に、男性器を捩じ込んで、引き裂いた。
弟は、優しい兄の信じがたい豹変ぶりと、自身の身体の急激な異変に、激しく混乱して、泣きじゃくったが、Ωの身体は初めての行為だったにも関わらず、子を孕むための行為に、歓喜して、血液と愛液を垂れ流し、αとの営みを従順に受け入れた。
制御など効きようもない若い雄は、同じく制御など効きようもない若い雌の首筋に、本能の赴くままに噛みついた。そのあまりに強烈過ぎる悦楽に、兄弟同時に射精した。
不幸にも、彼等が生涯で感じ得るであろう、最高に甘美な快楽と苦渋の幸福だったことを、ここに告白しよう。
彼等兄弟の愛の営みは、あまりにも情熱的過ぎて、まるで地獄絵図のようだった。
母が異変に気づいて、彼等を止めに入った頃には、全てが、決着していた。
絹を裂くような女の悲鳴が、部屋中に響き渡る。
精液と血液と涙に濡れた2つの肢体は、お互いに虚ろな瞳で見つめ合い、奈落の底のような深い絶望の中に居た。
こうして、番は成立し、家庭は崩壊したのだった。
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