534人が本棚に入れています
本棚に追加
薫は昼休みが終る頃には、自席に着いていた。少しだけ開いた窓からは、春らしい温かい風が吹き込んでくる。
窓際の席に座る薫は、よそ風を頬に受けながら、気怠げに外のグランドを眺めていた。
薫を探し回っていた隼人が諦めて教室に戻ってくる。薫の存在を確認して、肩透かしを食らいながらも安堵した。
けれども、教室には、仄かに花のような甘い香りが何処からともなく漂っている。薫のじんわりと滲んだ汗には、フェロモンが混ざり合い、風に乗って、教室中に広がっていた。それに気づいているのは、βの群れの中では、嗅ぎ慣れた隼人だけであった。
隼人の胸は、ザワザワと不安に掻き立てられた。
「どこに行っていたんだよ、」
「……少し体調が悪くて、保健室に」
隼人は薫の嘘に眉を曇らせる。薫の瞳は充血して潤み、顔は少し紅潮していた。本人の申告通りに、具合が悪そうに見えなくもなかった。隼人でなければ、納得したかもしれない。
けれど、隼人は、学園中を探す中で、保健室にも立ち寄って、空のベッドも、その目で確認していた。
嘘を暴きたい気持ちと、真実を突き付けられる恐怖がない交ぜに押し寄せる。躊躇していた隼人は、意を決して、口を開いた。
時刻は13時40分。始業開始のチャイムが鳴り響き、隼人は口を閉じざるを得なくなった。
初老の教師が扉を開けて、教室に足を踏み入れる。隼人は、苛立ちを感じながらも自席に着いた。
薫は再び、窓の外を眺め、甘ったるい溜め息を吐いた。隼人は、どこか薫の存在を遠くに感じて、切ない気持ちになった。ふと、薫の制服の詰め襟から、僅かに包帯が見えた。
隼人は息を呑んだ。
そうして、うつ向いて、教科書に目を落とした。いつものように、教師が教科書を読みながら、何かを解説している。
差された生徒が、立ち上がり、おどけたようにふざけた答えを口にした。教師は呆れたように何かを返して、教室の空気が、わっと湧く。
愉しげな笑い声が、幾重にも重なって木霊する。
けれど、この中には、薫と隼人はいなかった。
薫は、決して明るくはない自らの恋の行方と、博己のことに思いを馳せていた。
隼人は、拳を握り締めて、薫を掠め取っていった知らない誰かに対する苛立ちに、必死に堪えていた。
最初のコメントを投稿しよう!