第3幕 ~制裁の舞台~

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第3幕 ~制裁の舞台~

 誰が一番不幸なのか。  そんな話をしたいわけではない。発展途上の未熟な彼等には、他者の心の痛みなど理解できるはずもない。彼等にとっては、自分の心の傷だけが、愛しい存在である。自分だけが可哀想で、自分を苦しめる相手のことを、憎しみながらも、愛してしまう。  役者は揃ってしまった。  ついに、彼等の悲劇的な恋愛劇が、幕を開けたのであった。  薫のうなじに歯形が付けられて3日後の土曜日の夜のことだった。隼人は、夜の自主トレでかいた汗をシャワーで流すと、部屋着のジャージに着替えて、部屋に戻った。部屋の明かりは、消えており、窓から差し込む月明かりが二人部屋を優しく、妖しく照らしていた。  薫はベッドに横になり、隼人に背を向けて眠りに就こうとしていた。首に巻かれた包帯が、隼人の心をざわつかせる。  薫は包帯のことは何も言わない。  隼人は包帯のことは何も聞かない。  隼人は薫のベッドに腰をかけて、ゆっくりと薫の髪を撫でた。隼人が部屋に入ったところで、微睡みから引き戻された薫は、眠ったふりを続けている。じっと、隼人の愛撫に堪えながら博己のことを考えていた。博己が口にした「そのうち迎えに行くから、」そんな言葉を薫は信じていた。  隼人は、触れた途端に薫の身体に緊張が走るのを感じて、彼が起きていることを悟る。眠ったふりを続けている薫の布団を捲り上げて、腰をそっと撫でた。 「やめてくれ……」  薫の声は震え、その身体は怯えていた。博己に心を奪われた薫には、他の男に触れられることは、一層の嫌悪を募らせるものになっていた。  いつもの隼人であれば、ここで手を引いていただろう。けれど、傷心の隼人にとって薫の拒絶は、いつにも増して耐え難かった。 「薫」  隼人は薫の肩を掴み、身体を仰向けにさせる。そうして、艶かしい身体に跨がった。薫は瞳を潤ませ、唇を震わせている。左目の下にある泣き黒子が、涙のように見えた。  隼人は、震える唇に、唇を重ねて、自身の心の傷を更に抉った。嫌がって逃げる舌に、舌を絡ませて、薫のシャツに手を潜り込ませて、胸を愛撫する。  薫は抵抗らしい抵抗もできずに、犯される自分の不幸に心臓を冷やしていく。  隼人が薫の胸の突起を転がして、優しく摘まむ。快楽に従順な身体は、隼人の焦れったい愛撫に反応を初めて、甘く痺れ出す。薫は、口内を舌でなぶられながら、息苦しくも、くぐもった艶っぽい吐息を吐いてしまう。  ふあっと薫の甘い匂いが沸き立った。  トントンと軽やかに、部屋のドアをノックする音が響いた。隼人は名残惜しげに身体を起こして、薫から離れた。薫は着衣の乱れを直しながら、ほっと安堵の息を吐いて布団の中に潜り込む。  隼人が部屋のドアを開ける。視線を少し落とすと、そこには麗しい青年が、薄く笑って立っていた。ラフなジャージを着こんでいても、その身体からは、華やかで威圧的なオーラが放たれている。  穏やかに細められた目元は、優しげであるのに、どこか鋭い光を放つ。  隼人は目前の男のことを知っていた。この学園の生徒会長は、その美貌と、名の知れた御曹司であることで有名だった。 「神崎はいるか?」  隼人が制止する間もなく、博己は男の胸を軽く押して、部屋に上がり込んでくる。  尊大で優雅な立ち振舞いは、βやΩと一線を斯くして、一切の反抗を許さない。  博己は部屋に入るなり、口元を手で覆った。部屋の中は、運動部の部室のような雄臭い汗の臭いと、甘ったるい官能的な匂いが混ざり合って充満し、部屋の壁に染み付いているようだった。 「B棟の部屋は狭いな。これで二人部屋か。」  勝手に窓を開けながら、博己は憐れむように、部屋の住人を見比べた。  この学園は、クラスの優劣だけではなく、学生寮にも優劣がつけられている。特進クラスの生徒はA棟で、普通科クラスの生徒はB棟と区別されていた。A棟の部屋は、1人部屋であったし、B棟の部屋の1.5倍は広さがあった。  2つの棟の間には、渡り廊下はあるものの、その扉は固く閉ざされている。長く使われることのなかったその扉を、博己は意図も簡単に抉じ開けて、B棟に足を踏み入れたのだ。 「……博己」 「薫、会いに来たよ」  薫はうっとりと突然の訪問者を見上げた。  博己は慈愛の笑みを薫に向けた。  二人の間を取り巻く空気に、隼人は、全てを悟り、ぎゅっと拳を握り締めた。隼人の入る隙間など、1㎜だってありはしない、ように思えた。  博己は、長身のβの男に笑顔を張り付けたまま向き直った。 「君、名前は?」  隼人はびくりと肩を揺らした。脇と額に、冷や汗が滲む。 「……河島隼人、です」  博己の瞳に鋭く赤い光が差し込んだ。まるで、隼人の全てを見透かして、射抜いてくるような眼差しだった。月明かりを背負った男は、孤高の狼のように見えた。  自分よりも体格の小さい男に、なぜこれほどまでに萎縮しなければならないのか。 「河島くんは、薫と寝てるんだろ?」  隼人は目を見開いて、薫に視線を寄越した。薫も息を飲んで、隼人に視線を合わせた。  βとΩが固まって見つめ合う。αは、その姿が可笑しくて、必死に笑いを噛み殺す。 「河島くん、薫のこと、嫌がってるのに無理やり犯してたって本当かい?」 「……そんなこと……ッ」  隼人は絶句した。隼人からすれば、薫がその気になって誘ってきたときに、応えていただけである。無理やり抱いたことなど一度だって、ありはしない。いつも、薫が嫌がれば手を引いていた。自分は薫の性欲を満たす相手に過ぎず、今日は、今日ぐらいは、自分の我が儘に付き合ってもらおう、ぐらいのことを考えただけだ。  それに、どれほどの罪があるというのか。 「薫、河島くんは違うようなこと言ってるけど、俺に嘘吐いたのか?」  薫は肩をびくつかせて、首を横に振った。隼人は、薫のあまりの裏切りに、奥歯を噛み締める。恋人に許しを乞うために、薫は、隼人を強姦魔にでも仕立て上げようというのだろうか。 「どっちが嘘吐いているんだろうな?」  博己にとっては、さほど違いはない。隼人が例え、無理やり薫を組み敷いていたとしても、舌を噛み切るほどの抵抗も見せずに、大人しく犯されるΩは、自分から男を誘惑して腰を振る淫売と変わりはしない。  要するに、薫の有罪は確定していた。  怯える薫と見向かい合うように、博己は空いている隼人のベッドに腰を下ろした。αには、たった一言で、この場を凍りつかせる力がある。博己は、意地悪く口角を上げて、尊大に言い放った。 「なあ、そこで、やってみせろよ。」
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