第9幕 ~天空の檻~

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 朝焼けの白む光が室内に差し込んでいた。薫が重い瞼を開くと、上質で滑らかなシーツの海が広がっている。ぼんやりとした頭が次第に覚醒してくると、知らないベッドで眠っていたことに、不安が膨れ上がった。頭の中がジンジンと鈍く響き、身体の至るところがチクチクと針を刺されるように痛む。 「……ッ……」  怠い身体を起こすと、右肩が思うように動かないことに気付く。肩口を見れば、包帯がきつく巻かれていた。良くみれば、上半身は何も身につけておらず、身体の隅々にガーゼが貼られている。シーツを捲ると、下着のみの格好で、やはりガーゼが股や脚に貼られていた。 「よく眠れたか?」  声がした方に振り向くと、ベッドの脇の椅子に腰かけて、読書に耽っていた兄が顔を上げて、薫の方に首を傾げていた。 「こ、ここは……?」 「俺の部屋だよ。」  優しく微笑んだ響の顔に、薫の頭は真っ白になり、すぅと血の気が引いていく。 『二度と響と会ってはならない』  それは、神崎家の当主命令であった。 「帰る、」  無理やり立ち上がろうとしたところを、ぐいっと腕を掴まれる。 「帰るってどこにだ?」  顔を覗き込まれて、薫は怯んだ。 「寮に、決まってるだろ、」  響は喉の奥で小さく笑った。自身の弟があまりにも不憫で堪らなくなる。薫の腕に手を滑らせて、赤く腫れている箇所に触れた。 「これ、注射の痕だよな?」  医学の道を志している響の目を、誤魔化すことなど敵わない。  薫は複数の手に押さえつけられ、針を刺された記憶が生々しく甦り、ひゅっと息を止めた。 『ヒートさせようぜ』  嘲笑混じりの言葉と、血液中に流れ込んできた冷たい薬液。暗闇の中で、顔も知らない狼たちに噛まれた痛みや喉やアナルを無遠慮に貫かれた苦痛と嫌悪感が、一気に薫に襲いかかった。  響に、じっと射抜くような瞳で見つめられて、薫は響の腕を振り払い、視線から逃げるように顔を両手で覆う。 「……兄さんには、関係ない、」  肩を震わせて縮こまる薫に、響は静かに溜め息を吐いて、これ以上の追求を見送った。 「腹減ってるだろ?少し待ってろよ。」  ポンッと薫の頭を撫でると、響は寝室を後にした。響の気配が遠退くと、薫は堰を切ったように泣き出した。  熱病のようなものに浮かされて、されるがままに乱暴された薫は、理性を取り戻せば、ただただ恐怖の記憶が鮮明となり、ガタガタ震えが治まらない。  響は扉の向こう側で、薫の泣き声に耳を傾けながら、口元を手で覆った。  響が想定していたよりも、薫の置かれた状況は、酷く陰惨なものであった。  なぜ忘れていたのだろうか。自身が卒業した母校は、外面は品格と清廉さを重んじているが、内面は生徒たちを狭い檻に閉じ込めて、鬱積させた狼たちが蠢くような学園である。  あんな学園に、放り込まれたΩが、どうやって学園生活を真っ当に過ごせるというのだろうか。
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