第2幕 ~運命の番~

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 αの男は、生まれながらにして、強者で勝者である。故に、彼等は自尊心と気位が天に届く程に高かった。常に、ヒエラルキーの最上位に君臨し、その身のこなしは、気品が際立ち、優雅で華やかだった。  世界からの寵愛を一身に受ける彼等は、常に光輝いている。彼等の辞書に「劣等感」という文字はない。だからこそ、彼等は自由で、純粋で、ロマンチストな生き物であった。  思春期のαは、特にその傾向が強い。どこまでも、世界はαのために尽くすべきである、などと潜在的な傲慢さがあった。  結城博己は「魂の番」に強い憧れを抱く、αの少年だった。父もαで、母もαだった。彼の両親は、双方が強者で勝者であったため、常に激しい口論を繰り返す夫婦であった。  そんな両親の姿を見て育った博己は、伴侶にするならば、自分に従順で、懸命に奉仕してくれるであろうΩに憧れを抱いていた。  αの中には「Ωはαに寄生する穢らわしい生き物」と嫌悪する者も一部いたが、博己を含む多くのaは「Ωはαの幸福ためにのみ存在を許されている」という思考であった。どちらにせよ、Ωがαと対等な人間であるなどとは、微塵も考えたことはない。世界の理はそのようなαの意図を組み、Ωをヒエラルキーの最下層に押し込め続けている。  薫を一目見た瞬間に、博己は世界に感謝した。世界からの最高の贈り物であると思った。これほどまでに、何かに心を動かされたことはなかった。目の前のΩが恋して、愛しくて、堪らなかった。獣の本能を剥き出しにして、その上質な肢体を貪って、精液を注ぎ込んで、孕ませたい。番にして、家の中に閉じ込めて、自分のためだけに尽くす美しい伴侶として、可愛がりたかった。  けれど、番の契約は成立しなかった。  薫は、愚かなΩだった。  涙ながらに、αの博己に全てを暴露したのだ。出会って一時間も満たない相手に、全ての秘密を晒し、身も心も明け渡した。  まさに遇の骨頂で、最悪の悪手である。  薫は頭は悪くなかったが、Ωであった。Ωの男は生まれながらにして、弱者で敗者である。常にヒエラルキーの最下層で蔑まれ、軽蔑と侮蔑に耐えながら、息を潜めて隠れるように生きている。  自尊心など、とっくの昔にへし折られ、卑屈に生きていくしかなかった。いつでも誰かの言いなりで、自分一人で生きていく力もない。だから、同情してもらえると思ったのだ。 この不幸な境遇に「辛かったな」と博己に慰めてもらえることを期待した。  博己はαであるが、魂の番に成る得る特別な存在だった。薫は、博己ならば、きっと自分を受け入れてくれるだろう。愛する二人は、肩を寄せ合い、自分達の不幸な運命に、一緒に涙してくれるだろう。そんな甘えた愚かな妄想を抱いてしまった。  博己は、薫の告白に、人生で初めての恥辱を受けた。あまりの衝撃に、しばし唖然と立ち尽くす。  多くのαがΩに求めることをここに暴露しよう。遊び相手ならば、淫乱で後腐れがない相手がよい。男を何人も咥え込み、どんなに粗末に扱っても、縋ってくるような快楽に従順で、交尾のことしか考えられないような卑猥なΩが最適である。  けれど、番にするΩは全くの逆でならねばらない。魂の番は、運命の相手に出会うまで、貞操を守り続ける初な処女が最適である。 「初めての男として、自身の存在を深く刻み付けたい」という雄のロマンシズムを満たす相手でなければならない。  その誰にも晒したことがない肢体を組み敷いて、恥じらいながらも、自分だけを受け入れ、未知の快楽に悶えて、淫らに鳴いてしまうような、そんなΩを期待する。そうして、生涯、自分以外の男を知らずに、懸命に自分にのみ奉仕して生きていくのだ。博己は薫に、そんなΩを期待した。  博己にとって、薫は最悪だった。過程などには興味がない。結果だけが全てである。  aの辞書には「同情」などという文字はない。  薫は処女ではなかった。それどころか、実兄を誘惑して、番の契約を成立させていた。そして、その実兄に惨めにも、捨てられた。  卑劣にも、番の契約の痕を消して、世界を、博己を、欺こうとした。首輪もつけずに、自らをβと偽って、この学園に潜り込み、同室のβをも誘惑して関係を持っている。番の契約があるにも関わらず、他の雄に、簡単に足を開く。しかも、aではなく、βのような下等な生き物にまで。  おぞましいほどの淫売だ。こんな、他の男の手垢だらけの穢らわしいΩが、自分の運命の相手であるなど、博己には耐え難い屈辱であった。  薫は、美しく、上品で、甘くて、美味かった。自分だけのために用意された豪華なディナーを口にして顔を綻ばせていたのだ。それが、厨房を覗いてみれば、安っぽいファストフードを豪華に見せているだけで、しかも誰かの食べ残しの残飯であった。そんな、底知れぬ嫌悪感と不快感である。  博己は、舌打ちした。涙を流して救いを求めていた薫は、びくりと肩を揺らして博己を見上げた。博己は薫を軽蔑の目で見下げていた。  博己は、この愚かなΩの処遇について思いを馳せた。番にもなれないΩを、伴侶になどできるわけもない。いや、したくない。  けれど、薫の肢体は美しく手放し難い。軽蔑はしているが、恋しさや愛しさは、確かに、まだ存在していた。  ならば、飽きるまで性欲処理にでも使えばよい。少し乱暴に扱っても構わないだろう。相手は淫乱で愚かで惨めなΩである。それでも、このままというわけにはいかない。  博己は思う。  この俺に、これ程の恥辱を与えた代償を支わせなければならない。薫には、厳しい罰を与えなけばならない。
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