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ビルはすでにただの建物に戻っていて、動きそうなそぶりを見せない。マリーは軽く手を振ってギルを呼ぶと、ビルの周囲を歩いて建物の上に行けるような入り口がないかを探す。
ビルは一階のショップにしか入り口がなく、二階より上には窓もなく、白い外壁が伸びるだけだった。
「ねぇ、あなた、生きてるんでしょう?」
マリーは白いビルに向かって話しかける。
「『夜』がどこにいるか知ってる? 知ってたら教えて欲しい」
夜、という言葉を聞いて、周囲を歩いていた物たちがマリーに視線を流す。「ねぇ、聞こえてるでしょう?」マリーがさらに声をかけると、屋上から腕が一本伸びて、町の先を指さした。
「あっちに行けばいいのね。ありがとう!」
マリーは手を下ろしてギルを肩に乗せると、ビルが指さす方向に向かって歩き出す。
「ねぇ、マリー、『夜』ってなあに」
「この世界で二時間だけ見られる特別な現象みたいよ」
『夜』がなんなのか、マリーには分からない。ただ、黒髪の少女の言葉がマリーの耳に残っていた。少女のことを思い出そうとすると、心が死を求め始めてしまう。しかし、それが自分の本心なのかは分からない。『夜』を探して会う。そういう目的がなければ、マリーは今の自分がたやすく死へ向かってしまうことが分かっていた。
それならそれで構わない。
ただ、もし、死を求めているのが自分でないなら、私は私の本当の気持ちが知りたい。
赤いレンガの建物を曲がると、群青と淡い栗色のまだら模様の木々が見えてきた。木々の間に黒い砂利が敷かれた道がある。黒い砂利道を進むと、大きなビスケットがあちこちに置いてある開けた場所に出た。白いクリームが挟まったビスケットからは甘い匂いがする。
「わー、すごいねっ。マリー、ちょっと座って休もうよー」
マリーが足を止めると、ギルはマリーの肩からビスケットの上に飛び降りた。ギルの尖った先端が軽く鋭い音を立ててビスケットに突き刺さる。音が心地よいのか、ギルは鋭い刃をビスケットに踊るように刺して跳ねながら遊び始めた。
「へへへ、粉だらけになっちゃった」
ギルは刃についたクリームとビスケットのかけらを見せながら、うれしそうに笑い、それから粉々になったビスケットを口に含んだ。
「あまいー、おいしいー! ねぇ、マリーも食べてみなよ。しゃくしゃくしておいしいよー、あわ、うわあああっ」
乗っていたビスケットが急に立ち上がったために、ギルはビスケットから落ちて草の上に転がった。起き上がったビスケットはギルをにらみつける。
「なんだい、お前は。気持ちよく寝ていたところなのに、いきなりやってきて人の身体をボロボロにして。まったくどういう教育受けてるんだか」
「すみません、まさか生きているとは思わなくて」
声をかけたマリーをビスケットは疑うような目で見る。
「なんだいあんた、生きてるかどうかの区別もつかないのかい。まったくどうしようもない物だねぇ。あんたみたいなのが簡単に命になれちゃうってのがねぇ、おかしな世の中になっちまったよ、まったく」
ビスケットはクリームから伸びた細くて黒い足で飛び跳ねるように歩き、近くにあるビスケットの前でボロボロになったビスケットを剥がした。
「着替えるから、こっち見ないでおくれよ」
ビスケットはクリーム部分がマリーたちに見えないように気をつけながら、ビスケットごしにマリーたちに声をかけ、片側のビスケットを交換した。
「クリームを見ちゃいけないのね」
「クリームを見せるような卑猥なビスケットは、この世にいないよ。まったくあんたたち、ほんとなーんにも分かってないんだねぇ」
クリーム部分から細くて黒い腕が伸び、ビスケットは新しく着替えたビスケットの上を軽くはたいた。
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