二章 物語という病

1/21

14人が本棚に入れています
本棚に追加
/63ページ

二章 物語という病

 林が途切れて、見晴らしのいい丘の上に出た。空の紫色が濃くなっている。蛇行するような太い真っ赤な川が地平線まで届き、オレンジ色の大地のところどころに青い葉をもつ木が生えていた。木のいくつかは大地の上を動いている。 「わー、広いねぇ!」  肩に乗っていたギルがマリーの頭に飛び乗り、頭の上で飛び跳ねた。 「ねえ、すごくない? きれいだねぇ」  ギルはマリーの頭から肩を伝って地面に下り、マリーのウサギの顔を見上げる。 「マリーはさ、うれしいとかさ、あんまり思わないの?」  美しい景色なのだと理解はしている。でも、マリーの心が景色に近づかないのだ。自分の本当の気持ちかも分からない「死」を、ただ身体の中に持っている。死にたいと思いながら、わざわざ死ぬのも億劫で、自動的に死ねたらいいとすら思っている。もしかしたら、自分はもう死んでいるのかもしれない。物と、同じ。  川の近くまで行ってみたいというギルの後について、丘の斜面を下っていく。ウサギの着ぐるみを着たままの足では滑りやすい。マリーのピンクの足は、砂ぼこりを受けて色が濁り始めた。マリーの頭くらいの大きさの白黒のシマ模様の石が斜面のあちこちにあり、それらは気まぐれに動いてはマリーが斜面を下るのを邪魔する。丘の中腹には銀色のゾウの彫像が鼻を上げた体勢で立っていた。鼻は半分くらいのところで折れてなくなっていた。  ふいに空が明るくなった。星のように見えた小さな黄色の球体がまばゆい光を発しながら降ってきて、川のそばの大地に吸い込まれるように消える。吸い込まれる瞬間に花火が散ったように大地が光り、小さな鈴が一斉に鳴りだしたような音が響いた。波が去るように音が消えてからも、大地が波打つように光っている。 「光のところまで行ってみようよ!」 ぬいぐるみの足は痛みを感じない。マリーは足で石をよけて進むのをやめ、足下を気にせず歩き始めた。次第に速度を上げて、斜面を転げるように。動き出した石につまずき、マリーは斜面を転げ落ちた。ぬいぐるみの中で身体が跳ねる。分厚い着ぐるみのせいで痛みはあまり感じない。ただ少し目が回る。 傾斜がゆるやかになった川の近くでマリーの身体は止まった。うつ伏せになったまま目を閉じる。身体が回転しているような感じがして、その感覚に集中すると黒髪の少女の姿が心に浮かぶ気がした。彼女はまた何かを言っているようだ。でも聞こえないし、分からない。 (ぬいぐるみのまま川に飛び込んだら?)  マリーはそう思い立って顔を上げる。目の前に広がる川は、紫色の空の光をチリチリと反射し、水面が虹色に輝いている。濡れた着ぐるみの中で生きつづけられるとは思えない。それなら、自動的に死へと向かうんじゃないか。 (苦しいのかな? でもきっと我慢するのも少しの間だけだ)  身体の中にある死への衝動が自分のものでなかったとして、何か問題があるだろうか。考え続けることのほうが面倒に感じた。マリーは立ち上がり、川へと走り、そのまま飛び込んだ。
/63ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加