二章 物語という病

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 川の中にマリーが沈む直前に、水がしぶきを上げながらマリーをよけるように飛び散った。川に飛び込んだはずなのに、川の水がマリーをよけたために、マリーは地面に下りて両手をついた。自分の周りの水が、様子を見るようにぞわぞわと離れたり近寄ったりしている。マリーは立ち上がって川に向かって走り出した。しかし、水はマリーを避けるように彼女から離れていく。 「なんなの、これ」  マリーは川の水に囲まれた状態で、川の中央に立ち尽くすことになった。川の中に暮らしているらしい小さなおもちゃたちが、水の中からこちらを覗いている。 「マリー!」  川の向こうに斜面を下りてきたギルの姿が見えた。マリーがギルに向かって歩くと、川は道を作るようにマリーの前の水を開けた。 「よかったぁ、無事で。あんなに走ったらあぶないようー」 「ねえ、どういうこと、この川」 「どういうことって?」 「動くの、川が。水に意志があるみたいに」 「なんかこの川、生きてるみたい! ねぇ、キミ、名前はー?」  ギルは川に近づくと、大きな声で話しかける。すると川から、巨大な滝が逆さに流れるように水の塊が立ち上がった。十メートルはありそうな水の塊が、二人を見下ろしながら、ぼああああああああ、という低い音を立てて周囲を震わせる。 「ねえ、何か言ってるみたいだけど、わかる?」 「もちろん、わからないよ」  先の丸い円柱のように盛り上がった水は、先端をマリーたちのほうに曲げて、再び低い音を響かせる。 「なに、どういうこと?」 「んー、名前が壊れかかってるのかも」 「どうして?」 「わかんないー」  立ち上がった水の柱は長い首をうねらせるように空中で円を描いた後、地面を叩きつぶすように地中に衝突した。土と水しぶきが飛んで、マリーのところまで飛んでくる。身体についた水はすぐに球体になり、他の液体と合わさって大きくなりながら、飛ぶように本体に戻っていき、身体の上には乾いた土埃だけが残された。 水はうねり、マリーたちの周りの地面を何度も何度も叩きつけ、そのたびに激しいしぶきが身体に飛んでくる。ギルはマリーのスカートについたポケットの中に飛び込み、「こわいー」とつぶやいた。 (怒ってる?)  この苛立ちに、マリーは覚えがあった。全てに対する怒りだ。目の前の葉が風に揺れることに怒り、足下に咲いた小さな花を踏み散らして歩く。うまくいけば「たまたま今回だけ」と苛立ち、うまくいかなければ「やはりそうか」と苛立つ。車輪が坂を転がり続けるように、止まることのない怒りの連鎖だ。  マリーは水のうねりに向かって走った。大蛇が襲い掛かるような勢いで水がぶつかり、マリーの身体は跳ねるように空に飛んだ。 「マリーーー!」  勢いでポケットから飛び出しそうになったギルが、刃を使ってマリーの身体にしがみ付こうとする。重力に逆らって身体が飛んでいくのを感じながら、マリーは安堵した。これでやっと、本当に全てから離れられる。全部なかったことにできる。
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