二章 物語という病

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「それって、『夜』は私から生まれてるってこと?」  マリーは心の中でクレアに問いかける。 「わからないわ。私は可能性を話しただけ」 「可能性ってなに? あなた、前に『夜』を探してって言ってなかった? 私から生まれるなら探す必要ないじゃない」  マリーは自分の中に苛立ちや怒りの感情が生まれているのを自覚した。怒りで指先が震えて、制御できない。その怒りは自分の中にあるというより、カプセルの中に詰め込まれてベルトコンベアーの上に乗せて運ばれているみたいに自動的に血管を巡って全身に運ばれているみたいだった。マリーは怒り、同時にただ、自分の怒りを自覚していた。 「私が『夜』なら、会えたんでしょう。満足した?」 「いいえ、あなたは『夜』ではないわ」 「じゃあ、私はなに?」  マリーは声に出して言う。語気の強い言葉にギルが驚いて身体をビクリと震わせる。 「マリーは、マリーだよ」 「ギルに言ったんじゃない」  マリーは自分の心の中を探る。そこには怒りが淡々と運ばれている感覚だけがあり、クレアの声は聞こえない。ギルがマリーの足を抱くようにして張り付く。 「マリー、マリー、マリー」 「なに? そんなに呼ばなくても聞こえてる」 「ナマエをいっぱいよんでっていわれたから」  マリーは病院で会った白猫の言葉を思い出した。 (マリーさんが自分を見失いそうになったら、名前を呼んで) 「私は自分を見失ってなんてないわ。赤いビルに戻る」  マリーはギルを左手で抱えてポケットに入れながら立ち上がり、キトラのほうを向く。 「キトラ、あなたって一部だけついてくることってできる?」  川の水が分断され、マリーとほぼ同じ大きさのヒト型の水の塊が現れた。 「こんなに大きくなくていい。もっと、手のひらに乗るくらいで」  マリーが両手を差し出すと、キトラはその上に片手を伸ばし、そのまま手首部分が切れてマリーの手の上に残った。 「このコにつれてってもらったほうがはやくない? びゅーんっていけるよ」 「目立ちすぎるから。あんまり目立たずに戻りたいの。キトラは空中を飛べるでしょう? なにかあった時に戻って本体を連れてきてもらいたいの、いい?」 「はははいい、わわかかりましたたた」  マリーは右ポケットにキトラを入れ、ウサギの頭部を探して頭にかぶり直す。左側のポケットから、ギルがキトラに「ありがとうねー」と話しかけていた。  首の赤いマフラーを整えながら心の中を探るが、マリーの中にすでに怒りの感情はなくなっていた。クレアの声も聞こえない。 「行くよ」  マリーは軽く身体についた埃を払って丘の上へ歩き始める。無言で歩きながら、心の声を探ると、一つの気持ちが胸骨の手前にひっかかるような感じを覚えた。  しにたくない  マリーは同じ感情に覚えがあった。自分が死ぬ瞬間に掴んだ感情だ。  私、もしかしたら誰かに殺されたのかもしれない。  マリーは無言で歩きつづけた。
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