二章 物語という病

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 マリーは地面から生えた細い木がいくつか折れているのに気づいた。自分が転げまわった時に折れたのだろう。しかし、ぬいぐるみを着た右腕は、左腕と比べてあまり汚れていない。この差は、川が右腕に巻き付いていた証拠ではないのか。  ギルもクレアも、嘘をついている可能性がある。  マリーは口には出さず、赤いビルに戻るために早足で林へ向かう。ここはニンゲンのせかいじゃない。物たちのことを信用しすぎた。これからは、誰を信頼して何が信用できないか、もっと気をつけなければ。マリーは無言で周囲を観察する。世界を注意深く見よう。一つの変化も見逃さないように。一秒前にはなかった落ち葉がいつの間にか増えていないか、蛇行する砂利道の黒い色がこげ茶に変わっていないか。あるいは、マリー自身が呼吸する息の深さが、いつの間にか浅くなっていないかどうか。 黄色い三角の葉をもつ木は、さっきより数が増えている。黒い砂利道は前より太く、緑がかった青い草は膝まで届くほど伸びている。一部の物たちは生きていて、決してニンゲンに感謝しているわけじゃない。 「マリー、マリー! まって。どこにいくの?」  無言で歩きつづけるマリーを必死に追いかけながらギルが声をかける。マリーはギルの声を無視した。黒い砂利道を早足で歩き、ビスケットの横をすり抜ける。途中で名前の壊れたビスケットの近くを通りかかったが、マリーは立ち止まろうとはしなかった。 「町の大通りに戻ったら、パレードが進んだ方向へ向かって。右へ行くのよ、そしたらおうさまに会える」  林の向こうに建物が見え始めた時に、クレアの声が心に響いた。右へ行けばパレードの向かったほうへ。左へ曲がると布屋や病院がある。マリーはためらわずに左へ曲がる。黄色い斑点のあるドラゴンと、布屋にいた鏡は名前を隠していた。ドラゴンは『夜』に名前を奪われないためだと言っていたということは、ドラゴンたちは『夜』と対立している。『夜』に会わせようとしたクレアは『夜』の味方だ。  ギルは?  大通りに出たマリーは林の方角を振り返るが、ギルの姿は見えなくなっていた。歩幅の小さいギルを置いてきてしまったのか、それともどこかへ逃げたのだろうか。  マリーは一度立ち止まって自分に問いかける。自分は死にたいのか、生きたいのか。死にたいなら死ねるように動きたい。生きたいなら生きられるように動きたい。でも、マリーの中にはどちらの感情も真実みたいに騒ぎ合っていて、どちらが自分の本心なのかを測りかねていた。  死にたいか生きたいかは分からない。でも、おうさまみたいに扱われるのはイヤ。  自分の心の真実を見つける。それまでは生きることも死ぬことも選ばない。マリーは自分でそう決め、大通りを赤いビルに向かって歩き始めた。 「どこへ行くの? 何をするつもり?」  クレアを無視して左に曲がってから、クレアはマリーの心の中で騒ぎ始めていた。マリーは心の中で返事をする。 「あなた、私の感覚って言ってなかった? 私の感覚なら、私が考えていることはもっと分かってもよくない? 私の気持ちがぜんぜん分からないのに、本当に私の感覚なの?」 「私が気にしているのは、あなたが病気にかかっている可能性についてよ」  クレアの声に集中していたマリーは、目の前を歩いていた亀のぬいぐるみにぶつかる。亀は少しふらついたが、倒れることはなく顔を押さえた。マリーの半分くらいの身長で、甲羅はやわらかくてフワフワした生地でできている。
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