二章 物語という病

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 ごめんなさい、と反射的に謝ろうとしてマリーは口をつぐむ。相手が何者だかよく分からないし、物に謝る必要があるのかもマリーには分からなかった。 「なんだいあんた。人にぶつかっておいて謝りもしないのかい」  亀はつぶれたような声で言いながらマリーを見る。もともと睨みつけるような目つきをしていて、口が半開きになっている亀だ。表情がほとんど変わらないので、本心が分かりにくい。 「ごめん、なさい」 「あーあー、まるで言わされたみたいな言い方だね。人に対する礼儀ってもんがまったくなってないね」  亀は腰から下を金色の模様が入った青い布で巻いていて、裾を直すように平たい手で軽く押さえた。  マリーは軽く頭を下げて先に行こうとするが、すぐに立ち止まる。町に違和感がある。マリーはすぐに異変に気づいた。道路の色が真っ青になっているし、近くにあった赤いレンガの建物が丸ごとなくなっている。色とりどりの布が置いてあった店は生きていたはずだ。どこかに行ってしまっただろうか。それにしても、なぜ急にこんなに風景が変わってしまったのだろう。 「『夜』が通り過ぎたんだよ。ほんの一秒だけ。それで全部変えてった」  返事もしていないのに亀は勝手に話し始めた。睨むような目つきと半開きの口。表情は少しも変わらない。  『夜』が本当に現れたなら、私の腕から出たっていう黒い煙は『夜』じゃなかったってことじゃない? それとも『夜』は同時にあちこちに存在できるっていうの。  マリーは考えを巡らせながら亀に聞く。 「『夜』がどこへ行ったか知ってる?」 「口の利き方を知らないウサギだね。タダで教えてやれることなんて何もないよ」 「何をすればいいわけ?」 「そうだねえ、その首を置いていきな」 「首?」 「かわいいウサギの顔が欲しかったんだよ。笑顔もいい。こんな亀の顔じゃ恋人もできないからね」 「顔だけ欲しいってこと?」  亀の身体にウサギの頭が乗ったところを想像して、マリーはおかしくなる。 「それってバカみたいじゃない? 欲しいなら全部変えてもいいけど。私、別にウサギがいいわけじゃないし。笑顔とかキャラじゃないからね」 「全部を変える?」 「あなたが亀を脱いでくれたら、私がそっちに着替えるから」 「着替える?」  亀は半歩後ずさる。平たい両手が亀の顔の前で止まった。 「中身があるのか、おまえ」  ニンゲンであることはバレないようにしたほうがいいと、以前ドラゴンが言っていたことを思い出した。マリーは亀に視線を向けたまま黙る。自分がニンゲンなことがバレたらどうなるんだろう。捕まるだろうか。でも、ニンゲンの力で物の命を壊せるなら、物に捕まっても怖くないはずだ。 「だったら何?」  マリーがそう言った途端、亀の頭がロケットのように吹き飛んで、首から赤いランプが生えてきた。ランプは回転しながら赤い光線を振りまき、甲高い音を鳴らす。 「ビーーーーービーーーーーーーーーーービーーーーーーーーーーーー」 「えっ。ちょっと、なにこれっ」  音に気づいた他の物たちが一斉にマリーの方を向く。彼らの首も次々と吹き飛び、同じように首から赤いランプが生えて回転し始める。彼らは両手をマリーのほうに突きだしながら、よたりよたりと近づいてくる。 「マリー! こっちに、はやく!」
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