一章 壊れたおうさま

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 白猫が電気をつけると、明るくなった部屋の中央には長テーブルがあり、テーブルの上に広げられた青い布に手術機材が並べて置かれていた。  マリーは先が一番尖ったハサミを手に取るが、指先が太すぎて小さなハサミをうまく持てない。輪になった部分を両手で一つずつ持ってハサミを開くが、着ぐるみの顔が大きく、自分の首はうまく切れない。 「名前をつけてみてはどうでしょう?」  白猫がマリーに声をかける。 「名前?」 「あなたはニンゲンですよね。あっ、これは他の物たちには内緒にしておきますが。ニンゲンは名前によって物に命を与えられるのです」 「命? 命を与えるとどうなるの」 「わたしのように自由に動けるようになります」 「このハサミに名前をつければ、自分で動いて切って欲しいところを切ってくれるってこと?」 「物には物の意志がありますから分かりませんが、頼むことはできますでしょう」 「名前、名前ねぇ、なんでもいいの?」  マリーはハサミを左の手のひらの上に置き、体から少し離して眺める。着ぐるみの中からだと視界が狭くよく見えない。小さなハサミに似つかわしくない、強そうな名前がいいかもしれないと思いついた。 「ギルガメッシュ!」  名前をつけたとたん、ハサミはマリーの手のひらの上で刃先を開いて立ち上がった。「イタッ」尖った刃の先端が着ぐるみの下のマリーの皮膚を刺す。 「うわわああ~、ごごごごめんよおうう」  ハサミはそう言って逆立ちし、持ち手のほうを下にして体を起こした。持ち手の円の上に目のようなものが生え、黒目が回るように動いている。固そうなハサミが手を動かすみたいに自由な方向に曲がり始める。マリーはハサミの動きをよく見ようと手のひらを顔に近づける。 「あああ、のさ。きみは、そのぅ、ニンゲン?」  ハサミのギルガメッシュは背中を丸めるように身体を丸めて言う。高くてギジギジとつぶれたような声だ。白猫が少し離れたところから二人を見ている。 「そうよ!」  マリーが少し大きな声を出したので、手のひらの上でギルガメッシュはビクリと体をすくめる。白猫が一歩近づいてマリーに小声で言う。 「ここではニンゲンであることはあまり知られないほうがいいかもしれません」 「どうして?」 「ニンゲンはすべての物に命を与えられるでしょう。それは、この世界にある物、ぜんぶを生き物に変えられるってことなんです」 「だから? 物がぜんぶ自分の意志をもってたら、自分が動かなくても勝手に来てくれそうだし、便利そうじゃない」 「その力を悪用したがる物もいるんですよ」 「悪用ねぇ、まぁ、私には関係ないんじゃない。だってすぐ死ぬつもりでいるもの。ね、あなた」  マリーはギルガメッシュを自分の肩に乗せる。 「あなたすごく尖ってるじゃない? だから、この着ぐるみを切り刻んじゃってくれない?」  ギルガメッシュは自分の刃をシュルシュルとこすり合わせながら叫ぶ。 「いーやーだーよっ! せっかく生まれたのに、最初の仕事が人殺しなんて」 「生意気言わないでよ。私が生かしてやったんじゃない」 「やだやだやだ、やだやだやだやだやだ、絶対やだー」  ギルガメッシュはハサミの先端をそろえて身体を曲げる。ほとんど折れ曲がって、先がマリーの手のひらにつきそうなくらいになった。 「わがままなハサミ」 「ハサミじゃないよっ。ギルガメッシュって、キミがつけてくれたやつでしょ」 「我ながら長い名前をつけすぎたわ。ギルでいい?」 「んー、いいけど、まぁ。たまには長い方でも呼んで欲しいけど、まぁ。キミは?」 「マリー」 「マリー、いい名前だね! そしたら、ちょっと外に出てみない? オイラ、自分で外を歩いたことないから、一度だけでも歩いてみたい」 「嫌よ。行くなら私を刺してからにして」 「えー、なんでよー。きっと楽しいよ」 「どうでもいい。こんな着ぐるみで歩くのも面倒だもの」  着ぐるみに覆われているのに、皮膚感覚があまり感じられない。外に出たいという欲望もなく、ギルの不思議な動きにもマリーの心は動かなかった。  怒ったり泣いたり、喜んだり笑ったりするような感情が、マリーの身体の中には残っていないような感じだった。  中途半端に死んでしまった自分は、身体を残して心だけ完全に死んでしまったのかもしれないとマリーは思った。
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