二章 物語という病

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 息苦しくなってマリーは目をつぶる。胸が熱いくらいに痛んで、マリーは自分に突き刺さるギルを握りしめた。『夜』の冷たい霧のような黒い煙を吸っていると、足の感覚がなくなってくる。足が地面についている感じがしない。マリーは足を前後に動かしてみるが、空気を蹴っているみたいにどこにも触れない。真っ暗で、足が本当に動いているかもよく分からない。マリーは呼吸を荒げる。苦しい。本当に苦しいのかもよく分からないが、苦しいような気がする。  次の瞬間、身体を包んでいた冷気が消えたのを感じ、マリーは目を開ける。外が明るい。そこは石の塔の屋上だった。地上七十階くらいだろうか。かなり高い。周りには黄色とオレンジのシマ模様の草原がつづいていて、水平線に巨大な紫の円が半分だけ見える。塔の屋上は足を開いて十歩ほどの広さしかなかった。壁に近いところに下へ降りる階段があった。螺旋階段のようだが、中には灯りがなく真っ暗なようだ。 「マリー、マリー! いたいよう」  マリーのぬいぐるみの両手に、ギルが握りしめられていた。マリーは地面にギルを下ろし、「どういうつもり?」と問い詰める。 「つもりってなに? オイラ、くるしかったよう。いきなりつかむんだもん」 「ギルがっ、私を殺そうとしたんじゃない?」 「ころっ、オイラ、そんなことしないよっ」 「胸を刺したじゃない。すごく痛かったし」  とても悲しかったと言おうとして、マリーは自分の胸を見る。刺されたはずの場所に傷はない。 「オイラ、そんなことしないよう。マリーに命をもらったんだもん」  ギルが声を上げて泣き始める。確かにギルの小さな刃では分厚いウサギの着ぐるみを突き刺してマリーを殺すほどまではできないかもしれない。マリーが自分の身体を注意深く観察すると、レースのついた服の一部に穴が開いていた。鋭い物で切り裂かれたような痕だ。深い傷ではないが、ギルのことを完全に信用することはできない。  マリーは塔からかなり上空離れたところに、黒い煙が渦巻いていることに気づいた。『夜』がこちらを見ているのだ。なぜ、私をここに連れてきたのだろう。  塔が急に横揺れを始めて、マリーはその場に座り込む。かなり高さがあるので、少し揺れるだけでも振り落とされそうだ。 「この塔、生きてるんだわ。名前が壊れかかってるみたい。あなた、名前を付けられる?」  心の中でクレアの声がした。マリーは塔の屋上に伏せるようにしがみつきながら、塔に合う名前を探す。しかし、何も浮かばない。 「わああん、こわいよう。おっこちちゃう」  ギルが騒ぎながら、塔の中に入る階段へと駆けていく。マリーは周りにある物を思い浮かべながら次々と名前を呼んでいく。 「カベ、イシ、ソラ、クモ、テ、ハナ、タカイ、クサ、ユウヒ」 「やめてっ。それ、名前のつもり?」  マリーの心の中でクレアが激しい声で叫ぶ。 「だって、思いつかないもの。さっき、「ア」ってつけてもうまくいった。それならなんでもいけそうじゃない」 「名前はあればいいものじゃないの、てきとうに付けようとしないで!」  爆発するような音が聞こえ、塔の屋上の壁が一部崩れて地上へ落ちていく。塔が回転するように激しく揺れ始める。 「階段から中へ、急いで!」  クレアの声に従い、マリーは階段に飛び込み、落ちるように下へと駆けていく。
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