二章 物語という病

19/21

14人が本棚に入れています
本棚に追加
/63ページ
「どうして…?」 「わかんない」 「私が、無理やり引っ張ろうとしたから?」 「わからないよ、マリー。でもきっと、だれかのせいとかじゃないとおもう!」  腕の骨が冷えるような悲しみが、マリーの身体を侵食していく。同時に、全身が疲れで重くなる。マリーは身体を投げ出すように座り込み、腕を地面についた。マリーは自分が死にたがっていたことを思い出した。 「めんどくさい。私が物になればよかった」  マリーの心にわずかな諦めの気持ちが生まれる。その時、マリーの心に大きなひび割れをつくるような痛みがさした。 「マリー?」  人形のように散らかった腕がうまく動かせない。マリーは急に全身の血が一気に引くような激しい寒気に襲われた。心臓の鼓動がやけに大きく胸に響く。 「マリー? へいき? マリー?」  マリーはギルの呼びかけに応えようとするが、声が出ない。口がわずかに開いたまま、呼吸音だけが通り過ぎた。 「マリー? マリー?」  ギルが何度もマリーの名前を呼ぶうちに、マリーは声を取り戻した。 「聞こえる」  マリーは腕を動かそうと肩を振る。左腕が持ち上がるようになり、感覚がなくなった右腕を左手で掴んだ。身体が徐々に戻ってくる。マリーは床に倒れた女を見る。女の目は白目をむき、口元からよだれが垂れている。目から、黒い煙のようなものがうっすらと流れ始めていた。 「見て」  マリーが視線で女を指すとギルも煙に気づいたようだ。 「これ、なに! なんか出てきてる!」  マリーは地面を蹴って身体の向きを変え、女を正面に見据える。煙はさらに濃く、小部屋の天井へと流れていく。 「これ、『夜』じゃないの? 『夜』が彼女からしみ出してる」  マリーは着ぐるみを右腕だけ脱ぎ、自分の傷を確かめる。以前はここから同じように黒い煙が出ていた。今は、ギルにつけられた傷が残るだけで、煙は出ていない。  天井にぶつかった煙は、天井に吸い込まれることなく、天井に沿って流れ始める。煙は女の鼻や口、皮膚からも漏れ始め、室内にたまっていく。 「『夜』って、こわいやつじゃないの。にげられる? そとにいかないとっ」  ギルが開いたままの扉から出て行こうとするが、出口がすでに塞がっていることに気づいて立ち止まる。 「マリー、どうしよう。どどどうしよう」  慌てたギルがマリーの周りを走り回る中、マリーは自分の心を観察していた。恐怖心が心を灰色に塗りつぶしているような感じがする。その灰色の上に、青い粉のような不安がさらさらと振り撒かれる。マリーはそれが恐怖と不安だと分かっているが、絵画の制作過程を見ているように、マリーはただその色を見ていた。私の感情はひどく揺さぶられているのだ、とマリーは客観的に理解した。マリーの記憶に、雨の中でうずくまっていた少女の姿が浮かぶ。  マリーはその少女の腕を掴む。少女は驚いた顔でマリーを見上げる。少女の顔が倒れている女と重なる。人形のような顔をしていた女の目が光る。 「彼女、生きてる」
/63ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加