二章 物語という病

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 マリーは女がまだ生きていることを確信した。理由があるわけではないが、物にはなり切っていないのだ。  それからマリーはウサギの着ぐるみを脱ぎ、ウサギからレースのついた黒いスカートを取ってそれに着替え始めた。着ぐるみが着ていたスカートだから、サイズがかなり大きいが、ワンピースになっているので着れなくはない。ギルを呼んでレースの一部を切って包帯のように足に巻く。靴の代わりにするつもりだった。 「マリー、どうするの?」  マリーはギルの問いかけに応えなかったが、自分の中に、女をもとに戻したいという気持ちが生まれているのに気づいた。彼女の最期の生命としての灯は、マリーが消してしまったのかもしれない。でもその残滓は、まだわずかに残って生命であろうとしているのだと、マリーは思った。  小部屋には女から染み出した黒い煙が充満し始めている。扉は開いているが、その先も行き止まりだ、煙は外に出られずに徐々に下へと降りてくる。マリーが立ち上がって手で空気を呼び込むようにして煙を吸い込むと、わずかに喉が冷えた感じがするくらいで匂いもしなかった。マリーは深呼吸をしてさらに煙を吸い込むが、身体への変化はない。  吸い込むときの呼吸音、匂いや温度、マリーは自分の感覚を研ぎ澄ます。煙に包まれていても怖い感じはしない。ただ、悲しみが音のしない雨のようにマリーの心に降り始めた。マリーはさらに深呼吸を繰り返し、煙について知ろうと心を伸ばした。 「アルフレッド!」  マリーは急に降ってきた名前を部屋中に響くように天井に向かって放った。部屋の壁全体が小刻みに揺れ始める。部屋の壁に名前が付き、命を持ったのだ。
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