三章:最初に名前をつけられるということ

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「聞こえる? ねぇ」  マリーは傷のある右足をかばうように伸ばしながら、白猫の横に座り込む。白猫はプラスチックの目にかぶさった薄いまぶたをわずかにはためかせ、マリーを見た。 「あなた、私が最初に会った看護師さん? 私、前にピンクのウサギを着てて」 「覚えています」  白猫は目を半分開いた状態で言う。左腕が千切れているが、顔は笑顔のままなので、苦しいのか判断がつかない。 「どうしてこうなったの? あと、あのクマ。リチャードはどこ?」 「あなた、着ていたウサギはどうしたのですか?」  白猫はマリーの質問に質問で答える。その語尾にわずかに苛立ちがこもっている。 「もう着ないから、置いてきたんだけど、返さないとまずかった?」 「どこに置いてきたのでしょう?」 「おうさまがいる場所」  白猫は目を見開いて飛び起きた。マリー顔のすぐ前まで、白猫の固まった笑顔が近づく。白猫の丁寧だった口調が乱れる。 「リチャードはそこに行った。その前にここを壊して行った」 「どうして? なんで場所が分かったの?」 「ウサギの耳にリチャードの一部を仕込んでいた。あんたがどこに行っても場所が分かる」  胸が重いような感じがする。たぶん、クレアが怒っているんだろう。マリーは自分の胸を右手で軽く押さえる。 「ここを壊した理由はなに?」 「ここは、とても大切な場所なのです。それと、わたしを壊すためでしょう」  白猫は息を吐くと、ゆっくり身体の向きを変え、再び地面に横たわった。 「なぜあなたを?」 「あの人は、違う自分になりたがっているのです。新しい自分に。だから、古い自分を知っている者をすべて壊してしまいたいの」  マリーの心の中にクレアの声が響いた。全身に鳥肌が立ち、寒気がする。 「おうさまのところに戻りましょう、すぐに!」  白猫は目を閉じ、横になったままマリーに背を向ける。離れたところに立っていたギルがマリーに近づきながら言う。 「もどる?」  ギルの刃についたマリーの血がなくなっていた。ヘパトに混ざったのか、それとも血がついていたこと自体が幻覚だったのか。足の痛みはひどく、右足全体が傷口を中心に痺れるようだ。 「キトラにきてもらうっ。あるけないでしょ? キトラ―!」  ギルが周りに響くように大きな声で叫ぶ。キトラの名を何度か呼ぶと、病院の入り口から蛇状の長いものが現れた。キトラは蛇のように身体をうねらせて瓦礫を渡り、マリーたちの前に来て、手のひらの形をつくる。  マリーとギルが水の手のひらの上に乗ると、手のひらは軽く握るように指先を閉じ、病院を抜け出る。 「塔があった場所、わかるかな。キトラが迎えに来てくれたもっと先」 「ははいいいいいい、わあああかかりりりますすすす」  包まれていると水の冷たさが身体に痛いような気がしてくる。手のひらの中で小さく丸まりながら、自分はいったい何をしたいのだろうと考えていた。
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