三章:最初に名前をつけられるということ

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 水の手が空中で止まり、指先を開いた。空が真っ暗でオレンジ色の草原も色を失っている。暗闇の空で、黒い煙がぶつかり合っているようだ。 「なに、何が起こってるの…」  マリーは水の上から地上に目を凝らす。水の中に黒いインクが混ざるように、空中を黒い煙が飛び交っている。その煙の隙間から白い物が見えた。アルフレッドの石壁とは違う色だ。 「お洋服をもらったとこに、にてない?」  よく見ると白い腕が地面に転がっている。指が二本しかなく、残りは折れて散らばったようだ。アルフレッドがいたのはどこだろう、よく見えない。    水の手が震えながら徐々に高度を下げる。様子がおかしい。水の中に黒いものが紛れ込んでいる。地上近くまで来て、水はただの水のように弾けて地面に散った。 「キトラ、キトラ?」  マリーが水の名前を呼ぶと、地面に落ちた水のいくつかが跳ねるが、形は戻らない。 「『夜』が暴れてるんだわ。このままだと、世界にある物が全部壊されちゃう」  マリーの中でクレアが言う。 「どうすればいいの」 「まずはおうさまを探して」  マリーはギルをポケットに入れると、白い腕の残骸へ向かって歩き出す。右足が地面につくたびに痛む。マリーは構わずに、裸足のまま泥の地面を歩き続けた。足が滑って転びそうになり、スカートに泥がはねる。  白い腕が近づき、マリーはアルフレッドの名前を呼ぶが、動く物は見られない。黒い煙がマリーの周りを浮遊し、クモの巣のように身体に絡まるのを、マリーは両手で払いながら進む。 「ギル、あなたは大丈夫なの?」 「オイラ、へいきみたい」  煙に巻かれた白い腕は、腐敗するように崩れている。オレンジ色だった草原の一部には、黒く燃えたようなところもある。たぶん、生命をもっていた草が壊れたのだろう。 「いた!」  ギルの視線の先に、アルフレッドの崩れた石壁が見えた。壁は崩れ、中におうさまはいない。マリーは石壁に近づいて声をかける。声に反応して壁が揺れるが、何もしゃべらない。 「アルフレッド? ねぇ、聞こえる?」 「名前が壊れてしまったんだわ。もうその名前は死んでしまった。おうさまを探しましょう。『夜』が暴れているのは彼女を守るためのはず」  空を見上げると、黒い影が暴れ回っている。影と影が刃を合わせるように争っているように見える。 「『夜』が、二つあるみたい」  マリーは空を見上げてつぶやいた。
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