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四章:自分の名前を選ぶ物たち
マリーは握ったギルを持ち替える。ギルが目を潤ませてマリーに話しかける。
「だいじょうぶ?」
「平気よ」
「最初に名前をつけられた者には会えたの? おうさまの名前は?」
心の中でクレアがマリーに話しかけてきた。おうさまの本名はまだ聞いていない。『夜』を鎮めるのが先、みたいな口ぶりだった。
「…それは分からない。まずは『夜』を鎮めるように言われたわ」
風が横切る音が強くなっている。『夜』が吹き荒れているのだろう。空に巨大なヒビが入り、割れるように剥がれ落ちている。
「うえ、うええ、こわいよう」
ギルは身体をねじってマリーの手から逃れ、ポケットの中に滑り込んだ。足元には水がたまり、マリーの足が泥に沈む。
「テトラ? あなた、そこにいる?」
マリーは水に向かって付け替えた名前を呼ぶ。水は足元で意志をもって跳ね上がるが、明確な形をつくらない。
「テトラ? わかる?」
マリーの声に反応はしているようだ。
「もう壊れかけてる。また新しい名前をつけないといけないわ」
マリーはしゃがみ込んで跳ね上がる水にゆっくり話しかける。
「聞こえる? もし聞こえたらね、あなた自身にもう一度名前をつけて欲しいの。自分の名前。自分が生きていくための名前を、自分でつけるの。できる?」
水は跳ねるだけで返事もしない。
「テトラ、テトラ。あなたは声を出せるはず。うーん、声じゃなくてもいいわ。名前。自分の名前を考えてみて」
水の動きは変わらない。声が届いているのかどうかも、マリーには分からない。それでもマリーは諦めずに呼びかけ続ける。体中が震えるような地響きが聞こえ、ひび割れた空の半分が砕けながら地平線の先に落下している。破片に小さな悲鳴がいくつも混じっていて、それが音楽のようになってマリーのところまで届く。
「ねえっ、聞こえるっ?」
マリーは両手で跳ねている水を泥と一緒にすくい上げる。マリーの手のひらの中で、水はうずまきながら波紋をつくる。
「キコエル」
手のひらの水が、震えながら口のような形を作る。
「いい? あなた自身に名前をつけるの。できる?」
「ナマエ、ワカラナイ」
「あなたの名前。自分で好きにつけていいの。好きな名前を」
「スキ、ワカラナイ」
「思いついた名前。あなたが自分で。自分でつけていいの」
水は沈黙する。マリーの手のひらにたまった泥水は、心臓の音に呼応するみたいに波紋をつくる。マリーが黙って水の動きを見ていると、水は小さな声を上げた。
「ピピ」
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