四章:自分の名前を選ぶ物たち

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 マリーの目の前にギルが走り寄って身をかがめる。 「マリー、わかる?」  マリーは視線をギルに向ける。ドラゴンもギルのすぐ後ろに来て、マリーに声をかけた。 「起き上がれるか?」  自分の指先が見えるが、自分の物のような気がしない。人形の腕だけが転がっているみたいだ。指に動けと念じても、反応がない。 「マリー、かんじる?」  ギルが指先に駆け寄り、ハサミの持ち手でマリーの指先をつつく。マリーが黙っていると、ギルは身体全体を使って指先を揺さぶった。わずかに感覚が戻ってきたが、またすぐに何も感じなくなる。 「感覚が拗ねてるんだろう。寂しがっていると言ったほうがいいか。身体の声を聞いてもらえずに疲れ果てた『感覚』が、心を身体から追い出した。身体から追い出された心は、善意と悪意に分かれて、それぞれ人形の身体に入って生き始める。 身体だけで生きられなかった『感覚』は、心から『感情』を切り離して身体の中に呼び戻そうとしたがうまくいかずに、お前はリチャードに先に見つかった。それが、お前の心と身体が分離した経緯だ」  ギルはマリーの名前を呼びながら、マリーの指を曲げたり伸ばしたりを繰り返す。マリーは指の感覚に意識を向ける。虫の羽音を聞く時のように、かすかな声に注意を向けて。感覚に戻ったクレアは言葉を発さなくなった。でも、これが本来の状態なら、感覚は身体の声のはずだ。  ギルが名前を繰り返し呼ぶたびに、徐々に意識がはっきりしてくる。ギルが触れる自分の指先に意識を集中しているうちに、マリーは全身の筋肉に激しい疲労が残っているのを感じた。足に痛みがある。身体のあちこちに切り傷が残っていて、ところどころ痺れるように痛む。土の匂いがして、光がまぶしい。 「ああ、あ」  マリーの口から、息のような声がもれた。マリーはクレアに話しかけていた時と同じように、心の中で自分自身に言う。 (心をこの身体の中に戻したら、今度はあなたの声にも耳を傾けるようにってちゃんと伝えるから。あなたは身体の声を伝えることで、身体を精一杯守ってくれてたんだものね。身体にとっては、あなたも感情も心もみんな大事なの。だから、戻ってきて欲しい) 「心も含めたみんなに身体を返すから」  マリーが口に出して言うと、投げ出していた手で身体を支えながら起き上がる。指に地面のざらつきが感じられる。簡単に遠ざかってしまうようなか細い声でも、確かに聞こえてくる。感情に夢中になっていたら、きっとおろそかになってしまう声なのだろう。 「ありがとう、ギル。私が突き放したのに、戻ってきてくれたんだね」  ギルは起き上がったマリーを見上げながら、目を潤ませる。 「オイラ、マリーがすきだから。やっぱり、いっしょがいい。どっかにいっちゃやだよ、マリー」  マリーはギルを抱きかかえて立ち上がり、ドラゴンに聞いた。 「心をこの身体に戻すにはどうしたらいい?」
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