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エピローグ
「始まりの土地に戻るんだ。そこで本当の名前をつけてもらえ。そしたら、心がお前の中に戻るはずだ」
「分かった、ありがとう」
マリーは始まりの土地に通じる白いビルがあったところまで、ギルを抱えて歩く。ドラゴンはついてこなかった。ギルは黙ったままで、マリーも声をかけなかったが、マリーは手のひらにギルの手触りを感じていた。
倒壊した白いビルが見えてきて、マリーはその前まで歩いていく。それからギルを抱えたまま、お礼を言った。
「これまでありがとう。私は自分がなんだかよく分かってなかった。死んでしまいたいっていうことだけをずっと考えていたんだけど、ギルのおかげで違う選択ができそう。そういう自分に、今はすごく満足してる」
「マリー、いなくなっちゃやだよ」
マリーはギルの刃を建物に突き立てやすいように、ギルを片手で持ち替えた。ギルは刃を丸めてマリーの手にしがみつく。
「今になって振り返ってみるとね。病院で目を覚ましてから、ずっと楽しかったなって。いつもいつも不機嫌な気持ちで、悲しい焦りみたいなのがずっとあったけど、珍しい世界がいっぱい見られて、本当に幸せだった。もっと、ちゃんと見ておけばよかった」
「いけるよ、みられるよ。すぐにいなくならなくてもいいんでしょう? いろんなところにいってからにしよう。たのしいこと、まだまだたくさんあるから」
マリーはギルの言葉に首を振って返す。
「物語病がなくなったわけではないの。私には今も、違う物語がいくつか見えてる。でも、それを信じないようにしているだけなの。今の私は、何が起こってもギルを信じてる。だけど、これからは分からないから。
この病気がひどくなる前に、身体を本来の持ち主に返したい」
ギルの目から涙がこぼれ落ちて、銀の刃を伝って地面に落ちる。
「これまで、本当にありがとう。この世界にギルが残ってくれてるって思うと、自分にも生きている価値があったなって思えるよ」
マリーはギルの刃を白い建物のかけらに突き立てた。白い光に包まれ、目を覚ますと前と同じように、真っ白い世界の真ん中に鏡だけが立っている。
「ようこそ。おかえりなさい」
マリーは意識だけの存在になっていたが、握っていたギルの感覚が手に残っていた。
「名前を戻して欲しいの」
「あなたが本当の名前を取り戻せば、あなたは消えて、心があなたの中に戻りますわ。代わりにあなたは消えてしまうのだけど、それでもいいのですわね?」
「うん、大丈夫」
もともと存在しなかったはずなのに、いろんな経験ができた。自分がいなくても、ギルは自分のことを覚えていてくれるだろう。それで十分だ。
「本人が目を覚ましたら伝えて欲しいの。感情と感覚の声を聞くことと、自分一人で争わないことを」
「承知いたしました。では、この鏡の中を見ていただけますか」
鏡の中にはマリーの姿が映っていた。その姿が徐々に濃くなっていく。右手には、ギルが握られていた。前に見た時には何も持っていなかった気がするのに。
マリーが鏡に映る自分の姿に集中すると、ギルの声が聞こえてくる。マリーの名前を何度も叫んでいる。鏡の中のマリーの姿が明瞭になっていくにつれ、心の中にさまざまな声が聞こえてくる。大勢の人間が同時に話しているみたいな感じだ。それらを心の声だと感じたマリーは、身体から意識を遠ざけようと試みる。身体の中に、本来の持ち主が戻ろうとしているなら、私は去らなければ。
胸のざわめきや全身で感じる幸福感、指先の痺れや心臓の鼓動など、多彩な感情と感覚が、マリーの身体の中に洪水のようにあふれてくる。
「感情と感覚の声を聞いて欲しいという願いがあなたに託されてますわ」
ギルが名前を呼ぶ声がはっきりと聞こえる。始まりの土地を出て、元の世界に戻ってきていた。
「おかえり、マリー」
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