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「名前が壊れる、ってどういうこと?」
「お前の最初の状態と同じだよ。名前と自分が乖離した状態だ。名前が自分から離れると、うまく身体を操れなくなる」
「どうしたら壊れるの」
「さあな。ここでは大事にされるのは命だけだ。物は大事にされない。物と命を分けるのは名前だけ。この世界で無事に暮らしたいなら物になるな。あいつらは最後の理性で名前を元に戻そうとして、おうさまを追い続けてるんだ」
足を引きずり、揺れながら歩く壊れた物たちは、次々とほかの物に襲われ、持ち物や身体の一部を奪われていく。中にはただ切り刻まれて放り投げられる物もいた。
沿道で様子を見ていたハサミのギルが、前を歩いていた人形の足に切りかかるのが見えた。倒れた金髪の人形が着ている青いチェックのワンピースを切り裂いて奪う。ギルはさらに猫のおもちゃの首についていた大きな赤い花を奪ってこちらを見る。猫はプラスチックの目から涙が流しながら顔を上下させたが、その両目も巨大な白クマのぬいぐるみに引きちぎられる。白クマが着ているコートには目玉がびっしり縫い付けられていた。
「マリー、すごいよ! なんでも持ってっていいんだって。こんなにきれいなお洋服もらえたよ!」
階段を駆け上がってきたギルがマリーに青いワンピースを見せる。
「このお花はマリーにあげるよ。オイラからのお礼の気持ちだよ。名前をつけてくれたマリーに」
ギルは赤い花をハサミの先端で優しくつまんでマリーに差し出す。
「いらない」
マリーは右手の甲で花を払いのけて言う。花はじゅうたんの上に落ちた。ギルは落ちた花をもう一度持ち上げて言った。
「どうして。せっかくオイラがマリーのことを思って持ってきたのに」
「こっから見てた。猫のおもちゃから奪ったやつでしょ。あの猫、泣いてたけど気づいた? 嫌がってるのに無理やり奪うなんて、かわいそうに思わないの」
「違うよ。あれは悲しくて泣いてるんじゃないんだって。単なる反応だって言ってたよ。物には心がないから何も感じないって」
花を抱えたままのギルの身体が小さく揺れる。
「オイラ、やっと命になれたのに。ずっと使われるだけの物から、やっと命になれたのに。オイラ、命みたいに生きたいだけだよっ」
ギルの小さな目から涙が大量にあふれてじゅうたんを濡らす。ドラゴンがギルの刃から花を取り、窓から放り投げた。
「もとはこんな世界じゃなかった。命になった物たちも、もともと自分が物だったことを知っているから、物にも敬意をもって接していたんだ」
ドラゴンは窓から遠ざかるよう、マリーに手振りで示す。ニンゲンの姿を物たちに見せないためだろうか。
「ある命が生まれてから、この世界に差別が始まった。命の中にも階級が生まれ、支配する物とされる物が現れた。より多くの物を支配している物が、この世界では敬られる存在なのさ。だからみんなああして、少しでも多くの物を持とうとする。生きていても、物をもっていない物は結局、生き物として扱われないんだ」
物が物を差別する。ぬいぐるみがぬいぐるみを下に見るような状況は、マリーには滑稽に思えた。しかし、あまり興味も湧かない。この世界の秩序がそうであれば、この世界で生きたい人たちはそう生きればいい。
マリーの欲望は唯一、死ぬことだけに向かっていた。早く死なないといけない。まるで義務のようにそう感じていた。
「そいつの名前はリチャード」
聞き覚えがある名だった。病院で最初に会ったクマの名前だ。
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