慈音叫放射、あるいは悠久の残響

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「住宅街みたいだけど、どこの水道も電気も止まってる。誰もいそうにないね」  誰かいるかもと言った舌の根を、早くも乾かした薄情者が、道沿いに並ぶ廃屋を横目にふらふらしている。揺れているのは僕の視界も同じ。街路樹の根が道の舗石を押し上げていて、歩きにくいのだ。  「世界」のほかに障害物のない僕の「部屋」を歩くのとはわけが違う。あの中はどこまで行けど果てがないという欠点こそあれ、人間でいう何年分歩いても疲れない。  大振りになった腕が、傍らの植え込みで枝が伸び放題になっている低木を叩いた。蜥蜴(とかげ)が一匹飛び出してきて、しゅるしゅると道路を渡り、廃屋へと逃げ込む。 「脅かしてやるなよ。疲れたな、どこか入って休憩しよう。あの蜥蜴について行こうよ」  また脅かしてしまう気もしたが、民家とは雰囲気の違うその廃屋に興味を惹かれ、内心で蜥蜴に詫びつつ足を向ける。  生垣の横の塗り壁に、鳥と花らしき絵が描かれていた。開いたままの門をくぐると広い庭があって、雑草に負けず背を高くした芝の海で、すべり台が座礁している。保育園だったようだ。  建物は平屋で、ガラス戸が整列していた。汚れ曇っているが割れてはいない。感心しながら軽率に開けたら、ばらばらと砂と埃の雨に降られた。   「机も椅子も小さいなあ。今の持ち主には大きすぎるけど」  目を擦り、咳を繰り返す僕にはお構いなしのこいつは、やっぱり薄情者だ。幼児用の小さな机の中、巣を張った蜘蛛(くも)に挨拶などしている。  室内はぬめるような重い空気が充満していた。天井に、少し光が入る程度の亀裂が入ってはいるものの、換気には足りないようだ。開けたガラス戸から入る風が一層心地良い。  座って休むには椅子が小さすぎるので、荷物置きと見える横長の木の棚に寄り掛かった。天板の全体に埃が固着しているうえ、雨の跡らしいシミができている。そこに等間隔に並べて置かれた小物は、こんもりと苔に覆われていた。  ……いや、違う。透明な丸い入れ物に、苔が詰まっている。 「タグが付いてる。あかねぐみ。テラリウム」  それは土と植物の入った、手のひら大のガラス玉だった。  テラリウムという名前なのは知らなかったが、ガラスの中で植物を育てる方法は、いくつもの「世界」にあった。光合成に必要な日光を遮らず、蒸発する水を逃がさないガラスの密閉容器の中では、地面から離れた植物も長く生きていられる。だから特に広い「世界」で、特定の地域にしかない植物を移植するため、遠距離を移動する場合に使われることが多かった。  埃を払って、テラリウムを観察する。側面の開口部があるほかは――まるで外から見た「世界」のようだった。住人は苔が多い。キノコが共存している容器もある。そして半分近くは、枯れている。  ……なぜ、これを作った? 生命を配置しただけで、何もできずに去った気持ちは?  考え込む寸前、止められた。 「自傷行為じゃ、結論は出ない」
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