慈音叫放射、あるいは悠久の残響

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「私が産まれた日にね、この森に一本だけあった白木蓮に、雷が落ちて燃えちゃったらしいの。落雷なんて、山の方でしか起きないことが起きたのは、私が神様に嫌われた子だからなんだって。お父さんとお母さんが病気になって死んじゃったのも、そのせいなんだって」  ミオティの衝撃的な身の上話から、彼女が谷に近い森の小屋で一人暮らしをしている理由が分かった。彼女の親亡き後、人々は少女の職を森での薪集めと木の実や果実の収穫と決め、生家を追い出したのだ。最低限の生活を保障して。「神に嫌われた子」――災いを集団から遠ざけつつ、従順でいさせるために。 「神様って知ってる? この世界を作ってくれた誰かを、そう呼ぶのよ。私、どうして神様に嫌われたのかしら。私は神様のこと、嫌ってなんかいないのに」  おかしいねと伝わるように、僕は鳥としてできるだけの反応をして見せた。本当におかしいのだ。定義からすると、神様とは僕のことになるが、僕はミオティを嫌ってなどいない。それに僕ができるのは、命の入った球体を造り出すことだけ。大きさこそ自由にできても、その中身を変えることはできない。雷のような自然現象も、あらかじめ設定された「世界」の機能だ。雷を操る術はない、「世界」の中身を造る、それこそ神様じゃなければ。  人知を超える現象への恐怖から、人はこんな形で逃れようとするのか。何とかしたいが、鳥の姿では役に立てない。一度この「世界」を出れば、人間に姿を変えて入り直すことはできる。しかし人が住む地が一か所きりの極端に狭いこの「世界」では、突然現れてミオティの肩を持つよそ者など、新たな災い扱いされるに決まっている。ミオティを救うどころか、より追い詰めかねない。  力になれないお詫びに、ミオティが喜びそうなことは何でもやった。かくれんぼ、追いかけっこ、仕事の手伝い、傾聴係。時々、ほかの「世界」の様子を見に行くときを除いて、ずっと傍に付き添った。彼女が集落に行くときも、上空から見守っていた。  ミオティは、僕のためにいつも小屋の窓を開けておいてくれた。抜け落ちた羽を袋に集めて、綺麗だから捨てられないのと言ってくれたりもした。窓辺に置かれたその袋は、僕が日光浴するときの良い枕にもなった。  穏やかな日々だった。しかしほかの人々からすれば、異様な光景だったらしい。災いに付き従う鳥も同類と見なされたか、石を投げられるようになった。ミオティは僕を心配して、しばらく対岸で身を隠してほしいと言う。僕は、彼女にまで危害が及んではいけないと、谷を越えて飛び、そのまま「世界」を出て人型に戻った。  「部屋」は散らかっていた。ミオティとの生活の合間に「世界」を百も増やしたから当然だ。  浮かべた球体を整頓するのには、やはり人の手の形が便利だった。もっとも一度慣れない猫の姿になって、尻尾で「世界」を叩き割りそうになって以来、「部屋」では人間の姿と決めているのだが。  果てがない中で迷わないよう、「世界」の光に囲まれた一本道を作った。道から手が届く範囲に散りばめた球体を見回っていると、端まで行く間に七日もかかるようになっていた。  ミオティのことは片時も忘れることができず、戻りは脇目も振らず、五日間で帰ってきた。小さな「世界」に目を凝らすと、谷の方へと走る少女がいた。お気に入りの白い花を眺めに行くのだろう。白木蓮の枝に、僕が蕾の真似をしてとまったら、きっと喜んでくれる。  久しぶりにわくわくしながら、僕は白い鳥になり、小さな「世界」へ飛び込んだ。  空からミオティを視界に捉えたのは、彼女が谷へと二歩三歩、たたらを踏んだときだった。後ろに、養豚家の男が立っていた。まっすぐ突き出した右手を震わせ、背に回した左手には何かを握りしめて、ただ目を見開いていた。  宙に舞う瞬間、ミオティは仰向き、崖の上の白い花を探すようにして――上空から急降下する僕を、見た。  なぜ。間に合わない。こんなことなら隼にでもなっておくんだった。いやもっと早く飛べて、少女の体くらい持ち上げられるような――。 「ハクレン!」  ミオティが手を伸ばし、ひらひらと二度、横に振った。 「大好きよ!」  瞬く間に、昼間も暗い谷底へ少女は消えた。  男が呻き、握っていたものを投げ捨てて集落へと走り去ると、彼の立っていた場所がきらと輝いた。地に撒かれた白い羽。それを縫い留める、ぬらりとした赤い液体。そこに落ちて濡れたのは、空になった僕の枕、あの袋。  眼下の谷間から、まだミオティの声が響いてくる気がした。そして落下する彼女の顔が、笑顔が、目の奥に貼りついたように、まだ見えていた。  降下から一転、一心不乱に空を突き抜けて、「世界」を出た。「部屋」で人の姿に戻り、膝を抱え座り込んで、両手で顔を覆っても、まだミオティの顔が見えた。声が、聞こえた。少女が与えてくれたものを確かに感じるほど、無力さに苛まれる。目を背けるには、「部屋」はあまりに静かすぎた。  だから「世界」を造っては入ることを繰り返した。失敗だと思えばそこから去った。僕にできることがある「世界」がどこかにあるはずだと――「世界」一万個分もの失敗を重ねるまで信じ続けていた。
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