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「僕も救われたんだ」
苦笑して棟を見上げた。
今まで、ひとりきりで籠っていた実験室を。
「霊感があるなんてクラスメイトには言えなかった。馬鹿にされたり気味悪がられるんじゃないかと思ったから。
すぐ近くに見えるのに、感じるのに、僕以外は平然としていられてる」
言いながら確信する。
秘森さんが僕の気持ちを恐ろしいほど分かっていたのは、彼女もまた同じだったからだ。
「たまに、質の悪そうな何かがじっと僕を見てくるときがあるんだ。汗が止まらないくらい怖いけど、周りの人は平気だから。僕ひとり変なことを言いだしたら空気が悪くなるし、そんな状況でひとりになるのはもっと怖いしで、ずっと必死に耐え続けてきた」
――『さっき、死んでもいいと思ったでしょう』。
僕へと向けられた言葉がくるりと反転する。
もう死んでもいい、霊に苦しめられるなら霊になったほうがましだ、そう思い続けてきたのは僕だけではなかった。
「だからさっき、あのまま田上君に楽にしてほしいと思った。でも今は違うんだ。僕はもう、秘森さんに助けてもらったから」
本当の僕を隠さなくていい。
それだけで、こんなに生きやすい。
「今度は僕が役に立てたらなって」
彼女は何も答えず、白い右手で口元を覆う。
服から涙のように雫が伝い落ちるのを、白猫がじっと見上げていた。
柔らかい沈黙が満ちる。
遠くでカエルの鳴き声がしていた。
少しだけ血色が良くなった彼女の、感情を孕んだ目が僕へと向く。
ずっとためらっていたぎこちない唇が薄く開いたときだった。
「うばっくしょあーぃ!」
田上君の豪快なくしゃみが響く。
「……あー、いいとこで悪ィんだけどさ。いい加減冷えてきたし乾かさね?」
「そ、そうだね。風邪ひいたらいけないし」
突然の大声に心臓がバクバクしている。
「とりあえずみんなで僕んとこの実験室に来ない? エアコンかかるし、使い捨てのタオルもあるし。確か予備の白衣も置いてあるはず」
「裸に白衣か。変態みてえだな」
「田上君は自転車通学だっけ」
「おう。確実に職質されるわ」
実験室に向かって歩きながら、自然と笑っている自分がいた。
秘森さんも言葉少なながら雰囲気が柔らかい。
先ほどの凛とした表情のときよりも取っ付きやすいし、何より全然怖くなかった。
「ジャンケンしようぜ。負けたやつが服買いに行く」
「普通に乾かせばいいじゃん」
「いつまでかかるんだよそれ」
「……私と百瀬君は明日朝まで実験してるから、一緒にしていけばいいじゃない」
「ツッコミが追い付かねえわ」
わいわいと話す僕たちの後ろを白い影が音もなくついてくる。
こっそり振り返ると白猫がそっぽを向いた。
これ見よがしな仕草の癖に、尻尾はぴんと上を向いている。
その先端が、こらえきれないようにびびっと震えた。
――なにそれ可愛い……!
もしかしてかなり役得なのではないか。
明日の朝までこの子と一緒にいられるなら徹夜も全く苦にならない。
「百瀬、今やらしいこと考えただろ」
田上君がにやにやと指摘する。
「えっ、そんなことは」
どうやら誤解されているようだ。
田上君と、それからもう一匹に。
途端に険しくなった背後からの視線を感じながらも、やっぱり僕は幸せをかみしめていた。
【目喰いの人魂/了】
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