目喰いの人魂

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 唐突に電子音が鳴った。 「うわあっ!」  思い切り反応してしまう。 秘森さんはノーリアクションで机に置いてあったバッグに手を入れた。 中のスマホを取り出すと、何かを考えるように液晶を見る。  ――なんですぐ出ないんだ……?  もう少し穏やかな着信音にしてほしかったと考えていると、彼女はようやくそれを耳に当てた。 「はい」  よく聞こえないが、相手は若い男のようだ。 彼氏か何かだろうかと思った矢先、秘森さんが悪びれもせずに言う。 「学校にいる。……そう、ひとり」  僕の存在が否定された。 正体不明の男に逆恨みされるよりはよっぽど良いけれど。 「ああ……、そう」  白猫がひくひくとスマホを嗅ぐ。 しなやかで長い白尾を、苛立たしげに何度も振った。 「分かった。じゃあ今すぐ、学校のプールサイドで」  ――プール?  待ち合わせだろうか。 だとしてもなぜ今、よりによってあんな場所で。 「ひとりで待ってる。ちゃんと話すから……人魂の正体も」 「え?」  僕が思わず声を上げるのと同時に通話も終わった。 秘森さんがパンツのポケットにスマホを仕舞う。  ――人魂のことを今からプールで話す……?  秘森さんは誰と何のために話していたのか。 本当に人魂の正体を知っているというのか。  混乱して何から話せばいいのか分からないでいる僕に、彼女は言った。 「今から、田上龍斗と会ってくる」 「た、田上君?」  彼は五十嵐さんと付き合っているはずだ。 そんな彼と夜にプールで会うとは穏やかでない。 「五十嵐みずきの右目には後遺症が残るそうよ。田上龍斗はとても怒っていて、その原因を突き止めたがってる」 「え……でっ、でも、だからってなんで秘森さんに?」 「あの場に私もいたから」  息をのんだ。  噂通り、プールの人魂は女生徒の目を『食って』しまった。 しかもその疑いは秘森さんに向けられている。 昼のうちに教室で話しかけてくるならまだしも、人目のない夜に接触を図ってくるとは。 「ぼ、僕も行く」 「次のサンプリングまでには帰るから待ってて」 「そんなの危ないじゃないか!」  今日一番の声が出てしまった。 さすがの秘森さんも目を丸くする。 「ご、ごめん……でも、田上君は怒ってるんだよね? こんなこと考えたくないけど、もし何かされたら」 「……ああ。私『だけ』は大丈夫だから」  またしても、無表情でその言葉を繰り返す。  僕を安心させるためだろうか。 そう思ったけれど、すぐに違うと感じた。 彼女は確信している。 言葉通り、絶対に自分には何も起こり得ないのだと。  ――どうして。  首筋でふっつりと途絶えた黒髪が濡れたように光を湛えている。 それを支える首は細く、はっとするほど白かった。 手足もまた折れそうなほどに華奢だけれど、ゆったりと力が抜けていて緊張している様子は感じ取れない。 僕なんか夜の学校にいるだけで怯えていたというのに、何が彼女をそうさせるのか。  ――いったい何者なんだろう。  儚げだけど不敵で、何を考えているのかさっぱりわからなくて、華奢なのに恐ろしささえ感じる、とても優しいこの人は。 「ひとつ頼みがあるの」  唐突にスマートフォンを差し出され、我に返る。 「私が行ってるあいだ通話をつなげておいて。IDはこれ」  訳が分からないまま、僕は自分のスマホを取り出してトークアプリに入力した。 「田上龍斗と会ってるあいだは切らないで。何も話さなくていい。ただ、私たちの話を聞いてて」 「え? う、うん」  危ない目に遭ったときの保険だろうか。 しかし、すぐにその考えは打ち消される。 「もし何かが起きても百瀬君は動かないでね。間違っても助けに来ようなんて思わないで」 「じゃ、じゃあなんのために」 「聞いててほしいの」  さらりとそう言い残して、秘森さんは背を向けた。 激怒している田上君に会うというのに、迷いもなければ気負いもない後ろ姿だ。 その足元では猫が、おそらく彼女を止めるために裾に噛みつき食い下がっている。 実体のない猫の実らない努力を知るのは僕だけだ。  ドアが音を立てて空間を断つ。  また、ひとりだ。 長く細く息を吐きながら天井を見上げた。 さぞかし途方に暮れた顔をしているのだろうなと思う。  ――全然、分からない。  電話の目的は何か、なぜわざわざあのプールで待ち合わせるのか。 そして彼女は何を知っているのだろう。  ――僕も猫も、あんなに止めたのに……。  のろのろと視線を下げた。 スマホの液晶には新しく追加された秘森さんのプロフィール画面が表示されている。 アイコンの下に、受話器の形をした通話ボタンがあった。  ――とりあえず、かけた方が良いんだよな。  受話器をタップすると、すぐに秘森さんが出た。 「これでいい?」 『ありがとう。あとは放置してくれて構わないから』 「うん……」  とはいうものの、僕はスマホを置けなかった。 壊れ物のように両手でくるむ。 次のサンプリングまでにはまだまだ時間があるし、繋げたままスマホでゲームをする気にもなれない。  スピーカーからはがさごそというノイズと足音だけが聞こえてきた。 どちらも規則的だ。 静謐な校舎の真っすぐな廊下を、凛として進む彼女の後ろ姿が思い浮かぶ。 そういえば彼女の名前は凛だったはずだ。 秘森凛。 これほど名前通りに育つとは、親御さんもびっくりだろう。  ――そういえば、プロフ画面意外だったなあ。  アイコンの背景画像は家族写真を撮ったものだった。 それもかなり昔、多分彼女が小学生くらいのころのものだ。 上品そうな笑顔を浮かべた両親のあいだで、彼女は太陽のように笑っていた。 家族にはあんな表情を見せているのか、と微笑ましい気持ちになる。  金属的な音がして、足音が柔らかくなった。  外に出たのだろう。 この棟を出て左に進み、壁沿いにもう一度左に曲がれば、右手にプールがある。 そこまで行けばこの部屋の窓から直接彼女の姿を見ることができるだろう。 プール自体の明かりは点いていないが、校内には街灯と同じ照明器具が一定間隔で建てられている。 誰がいるかまでは分からないが、何人いるかくらいは視認できる。  胸騒ぎがした。  丸椅子に座ったり立ったりを繰り返す。 ひとりで行かせて本当に良かったのだろうか。 彼女が自信ありげに見えたのは、単にそれが表情に出なかったからというだけではないのか。  待ち合わせ相手である田上龍斗は筋肉質で大柄で、いつも自信にあふれている。 成績にまで自信があるのだろうか、よく仲間に代返を頼んでは授業をさぼっていた。 たびたび仲良くもないクラスメイトから宿題を借りて写しているので、そうは思えないのだが。  そんな田上君の恋人らしく、五十嵐みずきもまた華やかな存在だった。 容姿ならば秘森さんの方が整っているが、人脈が広く社交的な五十嵐さんの方が目立つ。 桐谷さんと同じくクラスの中心メンバーだが、その中に秘森さんは入っていない。 僕の見た限り、彼女は自分の世界を自分のペースで生きていた。
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