あがちご日記

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 お父ちゃん。えらいきゅうやな。お母ちゃんから聞いたで。きゅうに遠いとこ出ちょうになってんやてな。ぼくさみしいわ。今度の日曜キャッチボールしよ言うてたやん。やくそくしたやん。お母ちゃんもかなしそうやったで。そやけどお父ちゃん一しょけんめいはたらいてくれてるんやからしゃあないねんな。心ぱいせんとって。ぼくがお母ちゃんたすけたるからな。  お父ちゃん。元気か。まだ帰られへんのんか。ほんま大へんなんやな。お母ちゃんに言われたわ。お父ちゃん有名になってもうたから、わちゃわちゃ言うてくるやつおるか知れんけど相手にすんなやって。ほんまやわ。六年が昼休みにぼくんとこきて、お父ちゃんのことわちゃわちゃ言ってきよったわ。そやけどぼく、お母ちゃんに言われた通りおこったりせんとだまっとってんで。えらいやろ。  お父ちゃん。聞いてや。ぼく朝ご飯作れるようになったで。お母ちゃん仕事で忙しいからぼくが作ったげてんねん。あんな、焼き魚は先にあみ熱うに熱しといたらくっつかへんねんで。お父ちゃん家のことお母ちゃんにばっかさせとったからそんなんも知らんやろ。最近は男も料理せなもてへん時代なんやで。お母ちゃんにすてられへんように、帰ってきたら教えたるな。  お父ちゃん。あんな。お母ちゃんに自転車買うてもろうてん。貧ぼうやから無理や思とったのに、自転車買うてもろてん。たん生日でもクリスマスでもないけど、自転車買うてもろてん。いっぱい練習して乗れるようになるな。ほんでお父ちゃんのとこまで自転車で会いにいくねん。待っとってや。  お父ちゃん。あんな、よう分からへんのやけどな、セーツーってなんや? 今日の朝な、ぼくパンツぬれとってん。おしっこもらしたんやない思うんやけどな、パンツちょこっとぬれとってん。ほなお母ちゃんがセーツーちゃうかって。お父ちゃんに聞かな分からんけどって、不安そうな顔してた。なあ、セーツーってなんや。ぼく死んでまうんか。お父ちゃんいつ帰ってくるんや。帰ってきたらだっこ予約な。  お父ちゃん。自転車壊してもうた。せっかくお母ちゃんが頑張って働いて買うてくれた自転車。壊れてもた。ごめんやで。  お父ちゃん。お母ちゃん元気ないねん。朝から晩まで働いて疲れとんちゃうか。  お父ちゃん。今日新しい学校行ったわ。もう仲良うなった奴もおんねん。お父ちゃんと違ってなかなか社交的やろ。知ってる奴一人もおらんけど、やっぱ引っ越して良かったわ。  お父ちゃん。ぼくバイト始めたで。ちょっとはお母ちゃん楽になったらええな。  お父ちゃん。四つとじって知っとるか。知らんやろ。ちょっとな、失敗して国語の教科書二つに破いてもうてん。そやけどお父ちゃん江戸時代の詰め将棋の本持ってるやろ。それ真似してな、くぎで穴開けてたこ糸で縫ったらごっつかっこようなってん。四つとじいうらしいわ。ぼくお父ちゃんも知らんことどんどん覚えていきよるやろ。成長しとんねんで。  お父ちゃん。ちょう聞いてや。クラスの子がな、三年のいきった奴らにどつかれてな、友だちがそれにキレて十人くらいで乗り込んでぼこぼこにしたんや。教室には他の三年もおったんやけど乗り込んだ奴ら狂気じみてて手出しでけへんかったって。人間て自分が正義や思うたら何でもしよんねんな。ぼくはな、ぼくは誘われてんけど行かんかった。暴力あかんねん。ぼくいっつも冷静でいとかな怖いねん。分かるやろ。お父ちゃんやったら。  お父ちゃん。ぼくええこと思いついたんや。まだ秘密やで。秘密やけど、ほんまええこと思いついたんや。頑張って勉強するな。バイトはなあ、バイトは辞めてもたわ。  お父ちゃん。お母ちゃん入院してもうた。けど心配せんとってな。ちょっと疲れただけや。一週間もしたら帰ってくるわ。きっと。  お父ちゃん。やったで。大学合格したで。法学部やで。ゆっくりしてられへん。在学中に司法試験通ったるからな。待っとってや。  お父ちゃん。ええ加減にしいや。なんやねんこないだの手紙。「すまん」やて。そんなん言うんやったら始めからすなや。ぼくらどんな思いで生きてきたか分かってるか。お母ちゃんどんな思いでぼくを育ててきてくれたか分かっとるんか。毎月金持ってって、罵倒されながら土下座して、服も買わんと、化粧もせんと、心壊すまで働いて、魂抜けて廃人みたいになってもうてんで。すまんで済むか。ええ加減にせえよ、ほんま。  お父ちゃん。悪かったな、こないだ怒ってもうて。昨日電話で知ったわ。そういうことやってんな。もう近いって分かっとってんな。ごめんな。間に合わんかったわ。ぼくが偉なって廃止しよう思とったんやけど間に合わんかったわ。そらあかんわな。お父ちゃん生きてる価値のないクズ人間やもんな。他の人らを悲しみと絶望と怒りのどん底に落としといて、自分だけ生き延びようやて虫が良すぎるわな。そやけど分かってや。人類に呪われても、ぼくはお父ちゃんに生きとって欲しかったんや。身勝手でも生きとって欲しかったんや。ぼくもクズやねん。クソでええねん。クソの子やって自転車壊されても、教科書破られても、バイトくびになっても、お母ちゃんおかしなっても、お父ちゃん助けるためだけに生きてきたんや。けどそれももう終わりや。この手紙も出すとこあらへん。  最後の手紙を焚火に投げ入れた。一瞬大きく膨らんだ炎がそれを飲み込んだ。薄っぺらな灰が熱せられた気流に翻弄され、目まぐるしく舞いながら天に昇っていき、そして二度と降りてくることはなかった。
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