店長、電話に出て下さいお願いします。

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今日6度目になる着信音が店内に鳴り響く。 背伸びして、店の奥からレジカウンターに視線を飛ばす。 店長は直立不動で佇んだまま、カウンターに置いてある子機を見つめているだけだ。 手を伸ばす素振りは見せない。 またか。 関係者以外立ち入り禁止の扉を開けて、駆け足で事務所に向かう。 急いで事務机に置いてある親機の受話器を取った。 「お待たせ致しました。モディッシュ渋谷店、中村です。はい。はい。申し訳ございません。当店ではそのような商品は取り扱っておりません。はい。はい。失礼致します」 電話を切って、ふうと胸を撫で下ろす。 モディッシュは関東を中心に展開しているヤング向けのファッションブランドである。 洋服に関しての問い合わせが多いが、大半は取るに足らない内容である。 それでも、着信音が鳴ると身構えてしまう。 ふと、今朝のニュースで固定電話恐怖症という言葉を耳にしたのを思い出した。 どうやら職場などでの電話対応に恐怖やストレスを感じる人たちが増えているらしい。 今時の子のメインの連絡ツールはラインだから、固定電話を利用する機会なんてもはや皆無だろう。 中にはたちの悪いお客さんだっていて、理不尽なクレーム対応を強いられることもある。だから、怖いという気持ちは十分に理解できる。 特に若い女の子が相手だと、居丈高になるクレーマーもいるし。 かく言う私も、社会人になったばかりの頃は取引先の名前や伝言内容を正確に取り次ぐことができなかった。 過去に、 『株式会社ナカタのタナカさん』 という取引先と相手の名前を、 「株式会社タナカのナカタさんです」 と伝えてしまったのだが、当時の上司は笑いながら訂正してくれた。 寧ろ、 「間違えてもいいから、とにかく電話に出ることが大事だよ。何事も経験だからね」 とフォローまでしてくれた。 しかし、どれだけ経験を積んでも慣れることはなかった。苦手意識は消えず、やがてストレスに耐えかねて会社を辞めた。 もともと洋服が好きだったのでアパレル業界に再就職したが、やはり電話対応は避けては通れない道だった。 重いため息を吐くと、また着信音が鳴った。 少し躊躇ったが、3回コールされた所で痺れを切らして受話器を取った。 「お待たせ致しました。モディッシュ渋谷店、中村です。はい。はい。1週間以内でしたら返品可能です。返品の際、必ずレシートをお持ち下さい。はい。はい。失礼致します」 二週間前に遡る。3月に本社で人事異動があり、店長が新しくなった。 岡田新店長について分かったことと言えば、電話に出ない。それだけだ。 それだけだが、さすがに7回も取らされると真顔にもなる。 ふんっと鼻を鳴らす。 事務所にかけられた時計を見ると、15時を回っていた。 慌ててレジに向かう。 「レジ交代します」 素っ気ない口調になってしまった。 無意識だ。 「電話、誰からだった」 「……お客さんです」 「クレームとかなかった?」 「……はい」 「ごめんね。僕ちょっと手が離せなかったから」 「うっ」 そをつけ。 咄嗟に批難を呑みこむとへの字口になった。 その日、閉店するまで店長と口を利く気にはなれなかった。 次の日は休みだった。 2日後出勤すると、 「中村さん、昨日元気なかったらしいけど」 吉川さんが声をかけてきた。 「え、いや、そんなことないですよ」 「店長が言ってたんだけどさ。中村さん元気なくてどうしたのかなって」 「……それは」 昨日の出来事が蘇り、顔が曇る。 吉川さんにざっと事情を説明した。 「ああ、はいはい。わかるわかる。いくら電話に出るのが苦手だからって、店長なんだから従業員に対応を押しつけるのはやめて欲しいよね。事務所にいる時だって電話が鳴ってもガン無視だよ。ほんと、嫌になっちゃうよね。私だってできるなら出たくないし」 うんうんと吉川さんは頷いている。恐らく従業員は満場一致で共感してくれるだろう。 そんな調子でさらに2週間が経過した。 我慢を強いられている私達の鬱憤は最高潮に達していた。 現状を打開する策もなく、さらに二週間が経った。 今日も今日とて、出勤してから僅か二時間なのにすでに疲弊している。 ここ一時間の間に立て続けに電話が5回あり、その度に走らされたからだ。 吉川さんから聞いたのだが、なぜか私が出勤する日に限って電話が集中するらしい。 つくづく、損な性分だと思う。 二十五年もの間、人の顔色を伺って生きてきた。だから、着信音が鳴ると我先にとダッシュしてしまうのだ。それがまたストレスを増幅させていると分かっているのに、人に任せることができない。というより、任せようにも店長が任されてくれないからどうしようもない。 商品の乱れを整理しながら、行き場のない憤りをまた胸に抱いた。 「すみません。ちょっとお聞きしたいのですが」 服を畳んでいると、お客さんに声をかけられた。快活に返事をして振り返った時、着信音が鳴った。 だが、生憎接客中で手が離せない。私の他に島本さんがいるが、同じく手が空いていない。 レジを見る。子機の前にいるにも関わらず、相変わらず店長は見ざる聞かざるだ。 ついに、イライラメーターが振り切れた。 奥歯を噛み締めたが、無駄な自制だった。 「店長!電話!早く!」 宙を仰いで叫んだ。 ひっくり返った返事が聞こえた。 はっと我を取り戻しす。 やってしまった。頭を抱えたくなったが、接客中であることを思い出した。 恐る恐るお客さんに向き直る。 商品の説明を受けていたお客さんは目を白黒させていた。 苦笑いを浮かべるしかなかった。 しかし、状況は一変した。 驚くべきことに、店長が自発的に電話を取るようになったのだ。 「中村さんのおかげね。岡田さんも三十一にして漸く店長としての自覚が芽生えたのよ、きっと」 吉川さんに肩を叩かれた。 「そんなことないですよ」 謙遜しながらも、心は晴れやかだった。 「っていうか、店長って三十一歳だったんですね。もっと若いと思ってたのに」 そう言って、吉川さんと笑い合った。
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