僕の気持ちを叫びに乗せて

1/1
前へ
/1ページ
次へ

僕の気持ちを叫びに乗せて

     ジリジリと照らす、夏の太陽の下。  ふと足を止めて、僕は額の汗をぬぐった。  この暑い中をわざわざ大学へ行くなんて、自分でも物好きだと思う。  無意識のうちに、小さな呟きが口から漏れる。 「京香ちゃん、今日もいるかな……」  さすがに夏休みだけあって、大学構内を歩いていても、あまり人の姿を見かけなかった。前期授業のあった頃が嘘のような静けさだ。  もちろん僕だって、勉強しに来たわけではない。行き先は、文化系の部室(ボックス)が集まるサークル棟だった。  僕の所属するサークルは、クラシック系の音楽サークル。他にも合唱団とか器楽部とか、似たようなサークルが同じプレハブの建物に押し込められている。ギター部やロック音楽のサークルまで一緒の棟だった。  どのサークルでも、部室(ボックス)は練習をする場所というより、演奏道具の置き場とかミーティングのための部屋。公式的なサークル活動の際は、別の練習会場を使う。それでも建物の近辺で、自主的な個人練習に励む学生たちは多く、いつもならば、サークル棟のある区画だけは本当に騒々しい。だが今は、その人数も大きく減っていた。  日頃の騒音ではなく、適度なBGMに囲まれた建物。近づいて、自分のサークルの部室(ボックス)へ目を向けると、窓から灯りが漏れていた。つまり、中に誰かいるということだ。  期待に胸を膨らませながら、部室(ボックス)の扉を開けると……。 「あら、こんにちは」  ぺたんと青いカーペットに座り込んでいたのは、長い黒髪の美しい、同学年の女子大生。京香ちゃんだった。  ふわりとした緑色のスカートも、少しモコモコした白いブラウスも、よく似合っていて可愛らしい。夏だから少し薄手の生地であり、ブラジャーの紐らしきものが透けて見えているのだが、大丈夫なのだろうか。  つい、そちらに視線が釘付けになってしまい、挨拶を返すことすら忘れてしまう。 「……小坂くんも、個人練習に来たの?」 「やあ、京香ちゃん。そうだよ、僕も練習したくて……」  話しかけられて、慌てて口を開く僕。  彼女の目つきが少し訝しげに感じられるのは、気のせいだろうか。 「……へえ。小坂くん、相変わらず練習熱心ね」 「いやあ、まだまだ僕は下手っぴだから、頑張らないと!」  なんだか褒められた気分で、自然に声が明るくなってしまう。  いや、むしろ不自然なくらいだったらしい。目の前の京香ちゃんは、小首を傾げている。 「……まあ、いいわ。そういえば小坂くん、帰省はしないの?」 「ああ、うん。あんまり、その気になれなくて……。こっちに残ってた方が、勉強するにしても音楽やるにしても遊ぶにしても、何かと都合がいいからね」 「小坂くん、ちゃんと勉強してるの? 私が部室(ボックス)来ると、いつも小坂くんを見かける気がするんだけど」 「気のせいじゃないかな、それは」  と返しておくが……。  全然、気のせいではなかった。  そもそも僕は、京香ちゃんが来そうな時間帯を見計らって、部室(ボックス)を訪れているのだから。  サークルの仲間たちの大半が、帰省してしまった夏休み。  でも、僕が密かに恋い焦がれている京香ちゃんは、実家から大学に通う女の子。帰省することはなかった。  だから、こうして部室(ボックス)に顔を出せば、京香ちゃんと会う機会もある!  特に最近は、毎日のように京香ちゃんは来ているらしい。僕に言わせれば、僕なんかよりも京香ちゃんの方が、よっぽど練習熱心だった。  僕の方は、純粋に練習をしたいだけでなく、京香ちゃんに会いたいという別の目的もある。だが彼女には、そうした下心は存在しないのだろうから。  いつもは他にも誰かしら来ているのだが、今日は京香ちゃんと僕の二人だけ。ならば……。 「ねえ、京香ちゃん。せっかくだから、たまには一緒に練習しない?」  こんな機会は、めったにない。そう思って誘ってしまったが、 「えっ、でも……。私と小坂くんじゃ演奏パートも異なるし、意味ないよね?」 「いや、違うパートだからこそ、アンサンブルの意味でさ」 「うーん。それはそれで、二人じゃパートが少なすぎる気が……」  京香ちゃんは、乗り気ではなかった。  苦笑いにも見える笑みを口元に浮かべて、考え事をするかのように、視線を宙にさまよわせる。  それから再び僕の方へ、くりっと可愛らしい瞳を向けてくれた。 「じゃあ、他に誰か来るのを待つ? それならアンサンブル練習も……」 「それはダメだよ!」  思わず、京香ちゃんの言葉を遮ってしまう。  本心の発露だ。口に出すつもりはなかったのに。 「……なんで?」 「いや、なんで、って言われても……」  そう、理由を説明できないからだ。好きな女の子と一緒に練習したいという、僕の男心……。  音と音を重ねることは、相手が好きな女子であるならば特に、体と体を重ねることにも匹敵する悦びなのだ!  こんな気持ち、間違っても言えるわけがなかった。 「もう一度きくよ、小坂くん。……なんで?」  京香ちゃんは立ち上がり、少し下からグイッと覗き込むような格好で、追及を続けた。なんだか面白がっているような表情にも見えるが……。  まさか京香ちゃん、僕の恋心に気づいているのか? 僕の口から言わせようとしているのか?  ……いや。  冷静に考えれば、僕にとっても、これは良い機会かもしれない。京香ちゃんと二人きりのシチュエーション、次にいつ訪れるのか、わからないのだから。  もう思い切って告白するしかない。  たぶん顔を真っ赤にさせながら、僕は気持ちを告げるのだった。 「……す、好きだから……。京香ちゃんのこと、好きだから……」  僕としては『思い切って』のつもりだったのに、口から出た声は、驚くほど小さかった。  とはいえ、二人しかいない部室(ボックス)だ。京香ちゃんにも、きちんと届いていたはず。  それなのに、 「うーん……。そんなpp(ピアニッシモ)で告白されても、よく聞こえないから、喜べないなあ」  と言いながら、京香ちゃんは、ニヤニヤ笑いを浮かべている。  いくら何でも、pp(ピアニッシモ)――「とても弱く」――と言われるほど小声ではなかったはず。でも頭が真っ白になった僕は、何も言い返せなかった。 「小坂くんの『好き』って、その程度なの? そんなに小さい気持ちなの?」  そんなわけない!  ただドキドキして、小声になってしまっただけ!  だから。  今度こそ。  僕は大声で叫んだ。 「好きだ! 大好きだ、京香ちゃん!」 「そんなff(フォルティッシモ)の気持ちなら、受け入れるしかないわね」  また強弱記号――今度は「とても強く」――で例えながら、京香ちゃんが抱きついてきた。  これって、そういう意味だよね? 『受け入れる』と言ってくれたのだから、告白OKという意味だよね?  信じられない、と思いながらも、ここは絶対に聞き返してはいけない場面だ、というのは理解できた。  だから僕は何も言わずに、彼女の背中に手を回そうとしたのだが……。  ドン!  ドン! ドン!  左右両隣の部室(ボックス)から、激しく壁を叩く音。  僕たちは、慌ててバッと体を離した。 「小坂くん……。今の静かな部室(ボックス)内でff(フォルティッシモ)は、さすがにマズかったみたいね」  京香ちゃんが、小さくペロッと舌を出す。なんとも可愛らしい仕草だ。もう、その舌に吸い付きたいくらいだ。  でもグッと我慢して、 「そうだね」  僕は余裕の微笑みを返した。  すると京香ちゃんから、嬉しい提案が! 「じゃあ、どこか別の場所へ行きましょうか?」 「うん、京香ちゃん!」  僕たちは、手を繋いで部室(ボックス)を出る……。  こうして、今日の個人練習は中止になった。  さあ、これから二人の初デートだ! (「僕の気持ちを叫びに乗せて」完)    
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加