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3
目を覚ますと、やけに高い天井が目に入った。首を傾けて周りを見渡すと、その部屋の灯りらしい灯りが、壁一面に表示された大きな液晶画面しかないことに気付いた。その中にはウィンドウがたくさん並んでいて。そのどれも数字や機械語が並んでいた。ギアは機械語を読むことは出来たので、何と書いてあるのか読もうとした。しかし、文章と言うよりは端的な命令やシステムメッセージが多い。プログラムだろうというのは分かった。
一つ一つをゆっくり見ていくと、今ちょうど見ていたモニターの端に、小さなウィンドウが起ち上った。『今起きた君へ』というメッセージが表示され、その下に新しいものが並んでいく。
『こんにちは』『気分はどう?』
彼は誰なのだろう。それを問おうとしたら、また新しいのが出てきた。
『気分が良くなったら、この画面の前にいる子に声をかけてあげてね:-)』
言葉の通り、液晶画面の前に視線を移すと——この部屋に、もう一体ヒューマノイドがいることに気付いた。それは画面を見ていたが、こちらの視線に気づいたのか、振り向いた。
「ああ、目が覚めたんだね」
彼がそう言うと、部屋の電気がついた。ぱっとオレンジ色の温かな光が部屋全体を灯す。その時、ギアは、自分が部屋の壁際に置かれたベッドに眠っていたことを理解した。そして、もう一体のヒューマノイドは、自分と同じくらいの年齢に設定された少年だった。彼はギアに近づき、そのベッドに腰かけた。
「具合はどう?」
ギアは、彼が自分を呼び出したのだろうか、と考えていた。反応が鈍いのに気付いた少年は、ギアの額に手を伸ばした。しかしギアが怯えて後ずさったので、手を引っ込めた。少年は申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、無理をさせてしまって」
ギアは黙って少年の動きを観察している。少年はギアが怒り心頭でないことが分かると、表情を和らげた。
「僕はリエラ。君にここへ来てもらうよう、君のお父さんに頼んだんだ」
リエラは近くに置いていた水入りのコップをギアに差し出す。ギアは首を横に振った。
「ねえ、何で俺を呼んだの」
ギアがそう尋ねると、リエラはコップを元に戻して、液晶の方を見た。そして、何かを呟く。ギアには理解できない言葉だった。
「何、今の」
「ちょっと昔、この世界の頂点にいた生物の言葉だよ」
リエラが言い終わらないうちに、モニターの画面がホワイトアウトする。強い光に思わず目を閉じた。少しずつ、目を慣らすように開いていくと、数字がものすごい速さで画面いっぱいに並び始めた。時折機械語が混ざり、やがてらせんを描くようにして文字が消えていた。そして、中央に一文だけ表示される。
『Dear Human』
ギアは生まれてこの方英語を見たことが無かった。だから、これも何と書いてあるのか理解できなかった。
「……何? 何て書いてあるの?」
リエラに尋ねると、彼はギアの方を少し見て、もう一度画面に目を向けた。
「親愛なる人間へ」
「人間? 人間って、あの?」
「そう」
リエラは立ち上がって画面の前に立った。もう一度、ギアの理解できない言葉で何かを呟くと、画面の色が黒くなり、緑の文字やウィンドウが立ち込めていく。その全てが英語で記載されていた。ギアはベッドから降りて、リエラの隣で画面を眺める。
「何か、読める言葉ある?」
「……いや、ない」
「そう」
ギアがふとリエラを見ると、少し寂しそうな顔をしていた。だが、すぐに何でもないような表情に戻った。
「ああ、そうだ。君に見てほしいものがあるんだ」
リエラの声に応えるように、画面の中央へウィンドウが躍り出た。そこには、ヒューマノイドが食事をとる風景が映し出されていた。
「……これは?」
「見ての通りだよ」
彼らはパンや水を口にしていた。他にも、目玉焼きをパンの上に乗せていたり、焦げ茶色の液体——多分、珈琲だろう——をコップに入れて美味しそうに飲んでいた。ギアはリエラの方へ振り向く。
「ねえ、これって、俺の仲間ってこと?」
「え?」
リエラは驚いてギアの方を見る。
「だってそうでしょ。普通のヒューマノイドは食事を必要としないし。こういうのを必要とするのは、俺みたいに特殊なタイプのヒューマノイドでしょ」
「え、あ……ああ、うん」
ギアの言葉に、リエラは肩を落とした。そう落ち込まれるとギアも少し悲しくなる。
「何で落ち込むんだよ。違うのか?」
「まあ、そうだね……違う」
はっきりしない物言いをした後、リエラは深呼吸して、ギアの方へ向き直る。
「彼らは、確かに君と同じ種族だ。でも、君は一つ大きな誤解をしている」
「誤解?」
「君は、ヒューマノイドじゃないんだよ」
ぱち、ぱち、とギアの瞳が瞬きした。
「……君は、人間なんだ。君の体が脆いのは、それが機械じゃないから。君の感性が他よりも繊細で豊かなのは、自然に近い心を持っているからだよ」
ギアは首を傾げた。
「人間は、もうとっくの昔に滅びたって」
「その言い方は適切じゃないな。人間はこの星で暮らすのを止めただけだよ」
リエラは近くにあった椅子を引き寄せて座った。ギアにも椅子に座るよう促したが、ギアは首を横に振った。リエラが画面に目をやると、画面の中央に新しくウィンドウが開かれた。そこには、仰々しい箱体の乗り物が映し出されていた。
「裕福な人間は宇宙船を作ってこの星を出て行った。自分達が住める新しい場所を探すために。そして、他には——」
画面が切り替わった。今度は円が映し出された。その一部から線が引っ張られ、説明文が英語で書かれている。円の隣に氷のようなイラストが描かれていた。
「氷の中に閉じこもり、半永久的に眠り続けることを選んだ人もいた。いつか、人が生きるのに最適になった環境になった時、もう一度やり直そうと……」
言葉が詰まった。ギアがリエラの方を見ると、彼は視線を落としていた。やがて視線に気づくと、そちらを見た。
「他にも、いたんだよ。だけど、皆地上の環境に適応できず死んでしまった」
「地上?」
「〝太陽〟って聞いたことある?」
「えーっと……ある。あ、もしかして地上って言うのは、太陽が今も焦がしてる場所?」
その辺りの話は、昔エドラに聞いたことがあった。ギアが住んでいるのは大きな家の中にある小さな部屋だと。家を出たら太陽と言う大きくて光る星が辺りを焦がしている。ギアのように体が弱いヒューマノイドが出たら、たちまち焼けて死んでしまう。だから、部屋は好きなだけ出ても変わらないが、家は絶対に出てはならない、と(最も、ギアは家どころか部屋の外にすらロクに出なかったので、あまり関係のない話だったが)。
「まあ、そんな感じ。実際に焦がしているのは太陽から発される紫外線で、生命が地上に出たらたちまち肌に病気を抱えてしまう。おまけに、地球温暖化で平均気温が上昇しちゃってるから、感染症が——」
「……」
ギアとにかく外は危ないという事を理解した。リエラは、ギアがよく分かっていないという事に気付いた。
「……とにかく、人間はほとんどいなくなっちゃったってこと」
そう、人類はいなくなった。
「——僕ら以外はね」
ギアとリエラは生き残った。
「どうして僕らだけ生き残ったのかは、よく分かってないんだけどね……」
ギアにはちょっと信じられなかったが、エドラがここへ来いと言っていたという事は、きっと真実なのだろう。頭が一瞬混乱したが、情報を整理すると、意外にも落ち着いて受け止めることが出来た。
「へえ、そうなんだ。俺は、ヒューマノイドじゃないんだ」
「……やけに冷静なんだね。もっと取り乱すと思ってた」
「俺は、周りのヒューマノイドとはそもそも違う存在だったからね。それに、具体的な名前がついただけだよ……」
(あれ? 俺はいつから自分のことをヒューマノイドだと思っていたんだろう)
随分昔のことで、何も思い出せなかった。
ギアは画面を眺めた。きっとこの氷の中に、自分達と同じ種族が眠っているのだろう。彼らはなぜ機械と共に生きることを選ばなかったのか、逆になぜ自分は機械と一緒に生きていられるだろうか。ギアは聞こうかとも思ったが、聞く勇気はなかった。
「あのさ、リエラさん」
「リエラで良い」
「リエラ。言いにくいんだけど、俺、そんなに長く生きられないんだよね……」
ギアは少しだけ、自分が悪いことをしているような感覚がした。
「へえ、そうなんだ。まあ僕も近日中に死ぬ予定だけど」
「えっ?」
「この世界はもう僕を、人類を望んでない」
リエラが最近思っていることだった。自分がいなくても世界は回っている。なら、自分はこの世界には不要なのではないかと。
「……俺達は、もういらないの?」
「うん」
「どうして?」
「負けたから」
「何に?」
「全てに」
リエラがギアに向き直る。その瞳は穏やかだった。
「僕が死にたいって話をしたら、機械達が君の父親に連絡を取ってくれたんだ。そしたら、もう一人の人類も今別の場所で生きているから、良かったら最期に会わないかって。……今日は、来てくれてありがとう」
「うん……」
リエラが手を差し出した。ギアはおずおずとその手を握り返す。その時、リエラの手がこわばっていた。
「……」
やがてお互い手を離した。
「ギア、君に会えてよかった」
その笑顔に、ほんの少しだけ影が差した。
リエラが壁に目をやると、一部が開いて転送装置が現れた。
「さあ、もうお帰り。君の父さんが待ってる」
ギアは装置と目の前の少年を交互に見て、やがて足を踏み出した。その足取りは少しだけ重かった。
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