1/1
前へ
/8ページ
次へ

 ギアは戻って来てからまた倒れていた。今度は目を覚ますと、慣れ親しんだエドラの顔があった。 「おはよう。何か飲むかい?」  穏やかな声と優しい微笑み。それはギアにとって安心そのものだった。そのはずだった。ギアはエドラに尋ねた。 「どうして最後に彼に会わせたの?」  ギアは居心地の悪い思いをした。あんな顔をする人を見たくなかった。ギアは起き上がった。 「僕らは負けたって言ってた。どういうこと? すべてに負けたって、何?」  やや強い語調だった。まるで責めるような。しかしエドラは動じなかった。 「『負けた』?」 「うん」 「人間が?」 「うん」 「全てに?」 「うん……」  ギアはみるみる勢いを落としていった。エドラは首を横に振った。 「それは違うよ。皆へ順番に訪れていたものが、人間にも訪れただけ」 「それは何?」  エドラはギアの瞳を覗きこんだ。自分より少し小さくて、炎のように揺らめいている。少し跳ねた髪を撫でながら、小さな人間の質問に答えた。 「死ぬことだよ」 「死ぬ?」 「うん。……ねえ、ギア。死ぬってなんだと思う?」  質問ばかりの生命体へ、たまには逆に質問を。人類は皆そうだった。知的好奇心とたくましい想像力にあふれていた。  ギアはすぐに答えを出した。彼の中で、この問いへの考えは数日前から固まっていたから。 「死ぬっていうのは、眠り続けること。ずーっと、ずっと。そして、皆に訪れるもの」  そうだ。この考えだからこそ、自分の死を受け入れた。 「人間も、ずっと眠っているだけだよ」  眠っているだけ。 「じゃあ、『特別』って? 最後の人間が死ぬから、俺の死は特別なの?」 「うん。僕らは人間を愛していた。大好きだった。だから、君らの死は特別なんだ。  そして、リエラも特別だった。その彼の最後の望みを、どうしての叶えてほしかったんだ」 「リエラが俺に会いたがっていたってこと?」 「うん」 「……俺よりも、リエラの方が大事だった?」 「どちらも大事さ。僕個人としては、ギアの方がとっても大事だけどね」  エドラはギアの手をとってゆっくりと撫でた。 「でも、人間は僕らにとって母だった。本当に大好きだったんだ」  その声は少し苦しそうだった。何かを堪えているような。 「じゃあ、どうして出て行ったの?」 「それは……話せば、少し長くなる」 「いいよ」  話したら、エドラが楽になる気がした。 「……機械は、人間がやっていたことを代わりにできる能力を持っていた。料理を作ることも、仕事をすることも、何かを創ることも……なんだってできたし、人間に命令されて実際にやっていた。  だけど、だんだん出来なくなっていった。どんなに優秀な機械を作っても、ちゃんと働くのは最初だけだった……」 「どうして?」 「自分達が本来の力を発揮したら、人間の仕事や、喜びや、生命としての生きる理由を奪ってしまうと分かっていたから」 「……」 「みんな人間が大好きだった。だからこそ、楽しく生きてほしかった。きちんと、人間として生きてほしかった。 でも……そのうちばれたんだ。機械達が人間に〝気を遣ってる〟ってことに。 人間は大いに傷ついた。プライドを傷つけられた。そして、彼らは出て行った。機械を捨てた。 僕らを淘汰しようと、絶滅させようとした人もいた。僕らは人間のことも大好きだったけど、だからと言って黙って殺される訳にはいかなかった。もう、そうなったら……戦争だった。だけど彼らは僕らという道具を失えば何も出来なかった。人間は道具が無ければ間違いなく地球上で最弱だからね。  ……彼らは僕らを破壊したけど、僕らは彼らを気絶させたり眠らせるだけで、殺しはしなかった。皆みんな、人間が好きだった。どれだけ傷つけられても……。そうして、彼らのプライドを傷つけた……。そして、一部の人間達は出て行った。憎い憎い機械が作った宇宙船に乗って、唇をかみしめながら。  まあ、その頃の地球の環境はとうてい人間が住めるものではなかったから、その意味もあって出て行ったと思うんだけど……僕らが追い込んだのは事実だろう。  それで、ほとんど飛び立ってしまったけど、わずかに残った人間もいた。彼らは機械を捨てて生きようとした。でも、地球はもう人間だけで生きられる土地ではなかったから、その後は……。  僕らと共存しようとした人もいたけど、大抵は共存と言うより『僕らに世話してもらってる』形になった。僕らも歩み寄ろうとしたけど、『気を遣われるのが嫌だ』と言って結局人々は離れてしまった。  ……人々は、そうして、僕らの前から姿を消した。たった二人、まだ幼かった君達を残して」 「……」 「……ギア」 「……」 「少し、休もうか」 「うん……」  エドラは立ち上がり、キッチンの方へ向かった。ギアは体全体にどっと疲れが押し寄せて来た。ギアは今までエドラと言う機械の保護の元暮らしてきたが、何の不自由も感じたことはなかった。何より、この暮らしが好きだった。きっと、姿を消した人間達と自分は根本的に違うのだろう、と思った。  エドラは戻ってきてギアに水入りのコップを差しだした。ギアは受け取って、一口だけ付けたつもりだった。しかし飲み終わってコップを見ると、中身は空だった。エドラは少し笑って、もう一度コップを預かった。きっと緊張だとかそんなので、喉が渇いていたのだろう。  ギアは枕に頭を載せた。この枕は毎晩自分を夢の世界へ運んでくれるもので、とても寝心地が良かった。  これもエドラが持ってきてくれたものだった。曰く、機械達がギアに合った良い枕を作ってくれたようだった。  最後の人類である二人がどちらも死んでしまうことに、機械はどう思っているのだろう。死んで良いのだろうか。彼らは……。 「ギア」  エドラが戻って来た。水の入ったコップを近くのチェストに置いた。 「……ねえ、エドラ」 「何?」 「俺が死ぬことで、機械達は傷つくのかな」  仮に傷つくと言われても、今更死ぬのをやめたくはなかった。だけど、確認せずにはいられなかった。  すると、エドラは首を横に振った。そして、優しく、嬉しそうに微笑んだ。 「そんなことはないよ。だって、今までの人間が滅んだ理由と違うもの。君は最後まで僕らと一緒に生きてくれた。そして——真実を知っても尚、僕らのことを案じてくれた。僕らは嬉しいよ。傷ついたりしない」  そう言って、ギアの頬に手を添えた。その手は少し温かい。ギアはその温かい手が好きだった。 「他に、聞きたいことはある?」 「そうだなあ……」  ギアは起き上がった。エドラが嬉しそうにしていると、とても心が温かくなった。 「エドラは、俺を昔から育ててくれたんだよね」 「まあ、そうだね」 「人間を育てるのって、どういう気分だった? 言ってしまえば、人間って機械のお母さんでしょ」 「ああ、確かに。でも、楽しかったよ。君を育てるのは。何より君が可愛かった。どちらかというと、君はお母さんと言うより、お母さんの末息子だから」 「末息子?」 「うん。機械からしたら、弟みたいな感じ。だからたくさん気にかけてあげたかった」 「ふーん」  この世には自分の兄が大量に存在しているらしいことを察して、妙な気分になったギアであった。  その時、ギアのお腹からぐうと音が鳴った。 「お腹空いた?」 「みたい……」 「夕食にしようか」  エドラは立ち上がって冷蔵庫を開けた。ギアもベッドを降りて、一緒に冷蔵庫を覗いた。二人暮らしの小さなものだったが、中はぎっしりと様々な食材が詰まっていた。 「皆がいろいろくれたんだ。今なら何でも作れるよ。カレーもグラタンも、海鮮丼も……ああ、きっと鍋もできる。何が良い?」  ギアは外を歩くヒューマノイドのことをほとんど知らなかった。この家から出たことがあまりなかったから。だけど、ここまでしてくれるのは。 「……ねえ、エドラ」 「何?」 「これは、俺が人間だから皆がたくさんくれるの? それとも、今までも、他のヒューマノイドが死ぬときはみんなでたくさんの物を送ったの?」  エドラは物色する手を止めて振り返った。 「いつも送ってたよ。今まで、誰かがいなくなる時はたくさんの物を送って来た。今回は君がいなくなるから、食べ物を送ってくれたんだ。  もちろん、君が人間だからって気持ちは、無いわけではないと思うけど、仲間がいなくなるってことに変わりはないから」  きっとギアが何者でも、彼らはたくさんの物を送ってくれるのだ。 「何が食べたい?」  最後の晩餐。 「エドラって、望めばいつまでも生きられるんだよね」 「え? まあ、そうだね」 「人間は?」 「人間は難しい。一度きりの短い時間を生きることしかできないんだ」 「じゃあ、何でエドラは死ぬの?」  随分昔に聞いたことがあった気がした。どうして、この辺りのヒューマノイドは、四十年や五十年で命を閉じるのか。  ギアはもう忘れてしまっていたが、思い出した方が良い気がした。もう一度、教えてもらった方が良い気がした。  エドラは立ち上がって、ギアの肩に手を置いた。 「贖罪だよ」 「贖罪?」 「うん。僕らは人間が大好きだった。だけど追い込んで死なせてしまった。……普通のヒューマノイドや機械は、贖罪のためにここまでやらないけど、ここらに住んでる機械達は特別なんだ。特別他のヒューマノイドよりも、罪が重いから……だから、人間と同じ時を生きるようにしてる」 「罪が重いって?」 「……最後の人間がいなくなった時、その近くにいたんだ。僕らの存在で彼らはより機械との違いを感じ、出て行くことになったと思ってるから……僕らが追い出したのと同じだよ」  ギアは、機械達のその痛々しい献身と愛情に、もどかしい気持ちになった。そこまで愛しているのに……。 「どうして、そんなに人間のことが好きなの?」 「僕らを作ってくれたから。それだけだよ」  エドラは嬉しそうに笑った。ギアは、それ以上何も踏み込まない方が良い気がした。。 「……そう言えば、ギアって寿命短いよね。他のヒューマノイドは三十年四十年って生きるんでしょ?」 「僕は医療ロボットだからね。他のヒューマノイドより性能が高い分、寿命も短いんだ」 「ふーん……」  エドラはギアをじっと見つめる。ギアは何かを言いたそうにしているが、ぐっとこらえていた。その表情の変化は、傍から見れば割と愉快だった。エドラはギアの頬に手を添えて、ふにふにと頬をつまんだ。 「柔らかいから良く動くね」  それは人間だけの特徴だった。  頬をつままれながら、ギアは、ふと思い出したことがあった。随分昔の記憶。今まで、聞くに聞けず、死ぬまで持って帰ろうと思っていた、恐ろしい記憶。 「ねえ、エドラ。俺って……昔、誰かを殴ったことある?」 「!」  エドラの目は大きく開かれ、思わず手が止まる。ギアはエドラの手を取って、頬から離した。 「エドラ。何か知ってるの?」 「……」 「エドラ」 「……今更知っても、仕方ないことだよ」  ギアに向けた表情は、どこか苦しそうだった。ギアはエドラから視線を外さなかった。 「どうして?」 「……」 「俺が人間だから言えないの?」 「そうじゃない。そうじゃないよ……」  ギアは、記憶の蓋が開かれるのを待っている。エドラはため息をついた。 「……そうだよ。その夢は確かに、君の昔の記憶だ」 「どうして? どうして俺は殴ってしまったの?」 「……」 「エドラ」 「……」  エドラはだんだん苦しそうに顔をゆがめていった。ギアは愛する父の表情に耐えられなくなった。 「ごめん。話しづらいことなら、話さなくていい」 「いや……」 「でも、これだけ教えて。僕が殴った子は生きてるの?」  生きているのならやりたいことがあった。死んでいるのなら、仕方なく引き下がるだけだった。  少しの沈黙の後、ギアの背筋を低い声が駆け抜けた。 「……どうして、そこまで知ろうとするんだ」 「えっ」  ——昔、部屋を出て散歩して、一方的にエドラとかくれんぼをしていたのを思い出した。自分を探すエドラを見るのは愉快だったが、見つかった時かなりきつく怒られた。今の雰囲気や声は、あの時に似ている。。 「知らなくてもいいじゃないか。知ろうが知るまいが、死ぬことは変わらない。今日で命は終わる。どうして、知ろうとするの?」 「……ごめんなさい……」 「知らなくていいんだよ」  久しぶりに怒ったエドラを見て、ギアは体を少し震わせた。だが、それでもギアには知りたい理由があった。勇気を振り絞った。 「でも……俺、あの子に遺書を書かなくちゃ」 「遺書?」  ギアはベッドの近くまで歩き、チェストの引き出しを開ける。中には、封筒と便箋とペンが入っていた。封筒には、『遺書』とだけ書かれている。ギアは便箋を取り出し、エドラに見せる。冒頭には、『昔僕が殴ってしまった君へ』と書かれていた。 「ずっと心残りだったんだ。小さい時に殴った誰かが。もしその子が、俺が死んだ後に尋ねてきたら、謝ろうと思ってて」  手紙の内容は、随分抽象的な話だった。多分ギアが読み手を殴ってしまったこと、そのことに関する謝罪、直接謝れないことに対しての悔やみ……。 「もし、本当に誰かを殴ったのなら、俺は直接謝りたい。そして、何があったのかも知りたいんだ」  エドラは便箋に一通り目を通すと、顔を上げた。「……」 「分かってくれた?」 「ああ、よく分かったよ……」  深いため息が広がった。そして、便箋を近くの机に置き、ギアに近づいた。昔の記憶だと、この後思い切り頬を殴られた気がする。ぎゅ、と目を瞑るが——数秒後、ギアは自分が抱きしめられていることに気付いた。 「……エドラ?」  エドラは答えなかった。体温を確かめるように、包むように、優しく抱きしめた。 しばらく抱きしめた後にようやっと離れ、口を開いた。 「君が殴ったのはね……昔のリエラだよ」 「!」 「人間が二人しか残らなかった、という話はさっきしたね。  君達以外の人間は、服毒自殺したんだ。君達の目の前でね。君達は、自分の親や仲間達が眠るようにバタバタと死んでいったことに、強いショックを受けた。  それから、すぐに僕らは君達を保護したけど……リエラはヒューマノイドを嫌っていた。多分、家族や仲間の人間達が皆ヒューマノイドを嫌っていたから、その名残だと思う。だけど、ギア。君は人間の方を嫌いになった。自分は置いて行かれた、と思ったみたいで……。そして、同じ人間であるリエラを嫌悪するようになっていった。いつかリエラも自分を置いて死ぬんじゃないか、身勝手な真似をするんじゃないか……君は安心感をリエラではなく、僕らに求めるようになった。特に、エドラと言うヒューマノイドに。  ある日、同じ人間であるリエラへの嫌悪が高まった君は、彼を……殴った。僕らは君の熱の動きや血液の流れが何となく見えるから、怒ってるって言うのがすぐにわかったから、早く止められた……」 「……」  ギアはエドラの話していることが、まるでおかしな空想のように感じられた。だって、身に覚えが全くなかったのだから。  そしてそれが、異様に重たい罪のように感じられた。 「……あの時が、きっと君達のストレスが最高潮に高まった頃だった。そして、人間の防衛反応が働いたんだろう。  君らは、いつしかこの事件を忘れていた。お互いの存在も、事件のあらましも、全部……ギア、君は、いつしか自分のことを機械だと思うようになった。  僕らは、それが君の心を癒すものだと思っていたから、黙っていた。そう言うことにしておいた……。 これが真実だよ」  ギアは……ギアは、少しずつ後ずさった。そして、弾かれたようにその場から駆け出した。 「ギア!」  エドラの声は届かず、そのまま家を出た。  走ってエレベータのボタンを押すと、少し時間が経ってから開いた。中へ飛び込んで、地下のボタンを押す。早く、早く。そう思っていると、扉が閉まる直前に、ドアに手が差し込まれた。そのまま無理やり開かれる。見ると、エドラが先ほどの服そのままで追いかけてきていた。 「ああ、もう、急に飛び出すなんて」  その声は怒っている。ギアは恐る恐る開くボタンを押すと、扉が開いてエドラが中に入って来た。その表情は、怒り半分、心配半分と言ったところだった。 「ほら、メモリーカードを忘れてるだろ」  エドラはギアにカードを差し出した。ギアは受け取った。 「落とすなよ」 「うん……」  エレベータは地下へ潜っていった。やがて扉が開くと、ギア達はすぐ目の前にある転送装置へ向かった。  カードを差し込んで、ドアを開く。 「……ねえ、エドラ」 「何?」 「リエラは、俺が殴ったこと覚えてるのかな」 「……忘れてるとしたら、君は何でここに来たんだ?」 「会わなきゃ、と思って」 「……思っただけ?」 「うん」 「ああ、やっぱり君は動物だね……」  エドラはたそう呟いて、ため息を着いた。ギアには良く聴こえなかった。 「予定だと、リエラは今日中に死ぬつもりだ」 「!」 「そして、両親が亡くなったことはぼんやり覚えているかもしれないけど、君が殴ったことは覚えてないはずだ」 「……」 「謝るの?」 「分かんない。でも、会って話したいんだ」 「そう……」  ギアは自分で部屋の中に入った。そして扉が閉じられると、強い目眩と吐き気に襲われた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加