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 吐き気はいつも以上に酷く、目眩は確実に視界を奪いに来ていたが、倒れてしまえばきっと彼はいなくなるかもしれない。最後に言いたい言葉があった。  音を立てて装置の扉が開いた。倒れるように出てきたが、腕を床についてすんでのところで止まった。 「え、何で……」  リエラの声が聞こえる。壁に手をつきながら、何とか立ち上がった。彼はギアに近寄った。 「どうしたの? 何か、忘れ物?」 「えっと……」  ぐらぐらと揺れる視界はリエラを上手くとらえられない。しかし、そこに確かにいた。  ギアはリエラに手を伸ばし、もたれかかるように抱きついた。 「え、な、なに……!?」  リエラは困惑し、行き場のない手は宙をさまよう。ギアは優しく、強く抱きしめた。 「どうしたの……?」 「……」  こうして会ってみれば、何を話せばいいのか分からない。リエラは昔の記憶を無くしている。ギアもほとんど持っていない。持っているとしたら、さっきの……さっき、会った時の……。 (リエラは、あの時、どんな顔だった? 確か、確か——) 「暗い顔、してたから」 「え?」 「俺が、帰る時。何で……?」 「……」  リエラは黙って、黙り込んで。それから、ぽつりぽつりと話始めた。 「……君を見てると、すごくほっとしたんだ。温かくて柔らかい手も、表情の動き方も、瞳の揺れ方も……安心した。だから、少し寂しかった、のかな? 僕もよく分からないや……」  言葉は段々弱くなり、地面に落ちていった。ギアは、リエラから少し離れて、その手を取った。リエラの手を包むように。 「……温かいね」 「うん」 「柔らかくて……生きている」  それは、人間だけの。 「僕は、君の手が好きかもしれないな」 「だろうね」 「うん」  今度はリエラがギアを抱きしめた。その肩口に頭を置いた。 「……僕ね、昔の記憶が少しだけあるんだ」  ギアはリエラの背中に手を回そうとしたが、思わず止まった。 「と言っても、一瞬だけ。誰かが僕を抱いていた。その人はもう動かなかったけど……段々、冷たく、固くなっていった。それがものすごく怖かった。僕は、柔らかくて、温かいものは大好きだったけど、固くて冷たいものは大嫌いだった。機械も、ヒューマノイドも……体温が調節されていたとしても、元は冷たい機械だって思ったら、怖くて……。 でも、よかった。最後に、温かいものに触れられて。ありがとう」  リエラは心の底から安堵した。そして、ギアもまた、ほっとした。苦い記憶を持っていたのは、自分だけで。 「ギア。君は、いつ死ぬの?」 「今日」 「僕もだ。じゃあ、僕らすぐに会えるね」 「何で?」 「人間は生きる時間が短い代わりに、死んだ後が長いんだよ。死んだ後の世界で、ずっとずーっと生きられる。僕らは、またそこでたくさん生きられるよ」 「それって夢とは違うのか?」 「違うよ。僕らは死ぬとき夢は見ない。代わりに、別の世界へ行くんだよ」 「それって……ヒューマノイドも行けるのか?」  ギアはリエラの肩を掴んで、彼の体を引き離した。リエラはうーんと考える。 「どうだろう。天国があるのは人間だけだから」 「でも、あいつらは人間と同じくらいしか生きないって決めてるんだ」 「何で?」 「人が大好きで、同じように短い時間を生きているから」 「……そう」  一瞬だけ、リエラは呆れたような、複雑な顔をした。でもすぐに微笑みを浮かべた。 「じゃあ、行けるかもね。同じ場所に」 「そ、そうか。良かった」  ギアはほっと胸を撫で下ろした。リエラは、ギアが嬉しそうなのを見ると、心が温かくなった。 「……じゃあ、そろそろ」 「ああ」  ギアは扉の前に向かう。その足取りは軽かった。 「じゃあ、また会おうね。ギア」 「うん」 「会いに来てくれてありがとう」 「うん。会いに来て良かったよ」 「またね」 「また、後で」  リエラは小さく手を振った。ギアは頷いた。  扉は静かに閉じられた。
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