スーパーが花屋に化けた

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スーパーが花屋に化けた

     料理するのは嫌いではないし、一週間の半分以上は自炊しているはず。ただ今日は、何となく、そういう気分ではなかった。だから仕事帰りに、近くのスーパーに立ち寄った。適当に、出来合いの食べ物を買うつもりで。  鉄道も走っておらず、バスの本数も週末には激減するような田舎町。それでも市内には、大きなスーパーが五軒ある。  一番大きいのは、東端と西端にそれぞれ一軒ずつある、スーパーW。野菜などの食料品や下着などの衣類はもちろん、本やDVD、子供向けの玩具、釣具や猟銃といったアウトドア用品まで扱っており、24時間営業している。  おそらくスーパーWは、アメリカ最大手(さいおおて)なのだろう。一方、俺の感覚としては『二番手』になるのがスーパーKであり、この町には三軒。どれも比較的、市内中心部に位置していた。  特に、そのうち一軒は、ちょうど帰り道の途中にある。「野菜などの食料品や下着などの衣類」は扱っていても「本やDVD、子供向けの玩具、釣具や猟銃といったアウトドア用品」は売っていないスーパーKだが、夕飯を買うだけならば、それで十分。  いや、むしろ出来合いの食べ物は、スーパーWよりもスーパーKの方が充実しているかもしれない。俺がよくスーパーKで買うホウレンソウのキッシュもスーパーWにはないし、そもそもスーパーKでは、なぜか寿司を扱っているのだ。  寿司といっても、アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための寿司だ。握り寿司は売っておらず、巻き寿司ばかり。特に、いわゆるカリフォルニアロール――日本とは逆に海苔が内側で酢飯が外側になった太巻き――が多い。  最初に見た時は驚いたが、どちらが外側であろうが内側であろうが、口の中に入れてしまえば一緒だろう。それに、具材にウナギを使っているものがあったり、サーモンを使っているものがあったりして、なかなか旨い。俺の好みからすると、ウナギ自体は少し脂が足りないと感じたが――あまり良いウナギを使っていないと思ったが――、一緒に巻かれたアボカドがトロ味を補っていたので、まあ十分だろう。さすがアボカド、山のトロと称されるだけのことはある。  カリフォルニアロールのパックを二種類くらい買うつもりで、寿司コーナーへ。だが今日は、もうカリフォルニアロールは売り切れていた。仕方がないので代わりに買ったのが、見た目はカッパ巻きとよく似ている――これは日本の細巻きと同じく海苔が外側で酢飯が内側になっている――アボカド巻き。  それだけでは足りないので、ホウレンソウのキッシュも買う。だが、まだ夕飯として十分ではない気がする。結局、後で何か作って食べることになるかもしれない。 「アメリカの田舎町だと、日本みたいに弁当やおにぎりを買えないのが、不便なところだよなあ」  と独り言を口にしながら、レジへ向かうと……。  そこは、花の香りに包まれていた。  いや、香りだけではない。  赤や白やピンク、数は少ないが青や紫も見える。とにかく色とりどりの花で、レジの近くは、いっぱいになっていた。  飾られているわけではない。どれも売り物だ。  つまり、いつもは店の片隅に押しやられている花売り場が、なぜか今日は、レジのすぐそばまで侵食してきているのだった。  需要があるから、売り場を広げたのだろう。実際に今も、アメリカ人の青年が一人、真っ赤なバラの花束を手に取っていた。  ここで、俺は気づく。 「そうか、バレンタインデーだな……」  バレンタインデー。  日本ならば、女の子が男の子にチョコレートをプレゼントする日。  だが、ここアメリカでは違う。  まず、プレゼントの攻守が逆。男性が贈る側であって、女性は貰う側なのだ。  それに、プレゼントの中身も違う。チョコレートではなく、メインは花。圧倒的に、花をプレゼントする者が多いそうだ。  ただし完全に花と決まっているわけではなく、お菓子やぬいぐるみを贈る男もいるらしい。その辺りは、個人の自由に任されているのかもしれない。自由の国アメリカ、と言われるだけに。  まあ『お菓子』の中にはチョコレートも含まれているはずだし、もし今チョコレート売り場に行けば、バレンタイン向けの特別なチョコレートが売られているのを目にするかもしれない。だが、その『チョコレート売り場』をわざわざ広げることはなく、こうして花売り場を大々的にアピールしていることこそ、「バレンタインのプレゼントの主流は花である」という証ではないだろうか。  また、日本でいうところの義理チョコとか友チョコとかに相当する習慣はない。そもそも「この機会に、好きな人に告白する」というより「すでに恋人や妻のいる男が、改めてパートナーに愛を伝える」というイベントなのだという。  だから。  独り身の俺にとっては、全く縁のない一日だった。  妙な寂しさを感じながら、夕飯の入ったカゴを持って、レジに並ぶ。  ふと見ると、隣のレジでは、ちょうど金髪の白人男性が、爽やかな笑顔を浮かべて、ピンクの花束を買っているところだった。 「うらやましいな……」  無意識のうちに、小さな呟きが俺の口から漏れる。  そういえば、俺が小さい頃には日本でも、まだ義理チョコや友チョコは盛んではなかった気がする。だから小学生の頃、俺はチョコレートを貰えなかったし、貰える男子が羨ましかった。  でも。  当時は、自分が貰えないことを寂しく思うだけだった。「チョコレートを渡す相手がいない」女の子の気持ちを考えたことなど、一度もなかった。  そんな俺が、今になって。 「ああ、そうか。プレゼントを贈る相手もいなくて、みんなが買っている日に買えないと、こんな気持ちになるのか……」  しみじみと、女性側の立場を実感するのだった。 (「スーパーが花屋に化けた」完)    
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