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8
コレットの目に涙がじわじわと浮かび始めたとき、いつの間にか両親のそばを離れて草の茂みの向こうを覗いていたジェラルドが、大きな声で叫びました。
「ね、ね、お父さん、お母さん! なんだかおかしなものが見えてるよ!」
アルマンとコレットは顔を見合わせました。コレットの潤んだ瞳の中に、深い悲しみとも絶望ともつかない色が揺れているのを見たアルマンは、やはり悲し気な小さなため息を吐いて、コレットの肩にそっと手を置くと、立ち上がって息子の元に歩いていきました。
「ジェラルド、勝手にお父さんたちのそばを離れてはいけないよ。いつも言っているだろう。夜の森は昼の森よりもずっと恐ろしいんだ」
「うん、でも、この向こうには木がないんだ」
「木がない?」
アルマンはジェラルドの隣に立って、同じように茂みの中に顔を突っ込んで覗いてみました。
茂みの向こうには煉瓦敷きの道が伸びていて、その道の間には白いベンチのある芝生が、点々と外灯に照らされて浮かび上がっているのが見えました。
「あぁ、なんだ、公園じゃないか」
「こうえん?」
「そうだよ、ジェラルド。ここは人間が何かを食べたり、犬と歩いたり、人間同士でおしゃべりをしたりする場所なんだ」
「じゃあ楽しいところなんだね」
「うん、まぁ、人間にとってはそうだろうね。だが我々にとっては、そうそう楽しい場所というわけでもないだろうね」
「どうして?」
「おまえはまだ人間を見たことがないからわからないだろうが、人間というのは恐ろしく大きくて、気をつけないと踏みつぶされてしまう。厄介なのは人間に見つかった場合だ。彼らは信じられないほど大きな叫び声をあげて、そりゃもうあの声ときたら、その後しばらくは耳鳴りがして大変なほどだよ。それに人間の子どもたちの中には、我々を捕まえようと追いかけまわす者もいるし、悪くすれば踏みつけて殺そうとするんだ」
「それじゃ、キツネよりも怖いんだね」
ジェラルドは恐ろしくなって、ぺったりと耳を倒して言いました。
「うむ、そうだな……。それにここには人間が放ってくれるパンくずなんかを狙って鳥たちも集まって来るんだがね、この連中もなかなか厄介だよ。森の鳥たちと違って、町の鳥というのは礼儀知らずの皮肉屋が多くてね。まずパンくずの分け前にあずかろうったって、そうはいかない。かえってひどい目に遭うのが落ちさ。それから、人間のそばにいる犬にも注意が必要だ。中には気のいい犬もいるが、たいていはやまかしく吠えかかってくる。だが何より恐ろしいのは、そう、猫というやつだ」
「ぼく、知ってる。猫はみんな怖い『ほしょくしゃ』なんだよね?」
「ほぅ、よく勉強しているんだな。えらいぞ」
アルマンに褒められて、ジェラルドは得意げに胸を張りました。アルマンはジェラルドにほほ笑みかけてから、後ろを振り返ってコレットの様子を見てみました。コレットは相変わらず地面に座り込んだまま、どこか放心したように宙の一点を見つめていました。
月に行くことを提案してしまった手前、アルマンは責任を感じて肩を落として小さく首を振りました。ジェラルドの手を引いてコレットの元に戻ると、慰めるように声を掛けました。
「とにかく、もう少し歩いてみよう。何か手がかりがあるかもしれない」
コレットはぼんやりした目を上げてアルマンを見つめましたが、その瞳はまるで何も映していないかのように虚ろでした。
「ぼく、お腹空いちゃったよ」
ジェラルドが自分のお腹に手を当てながら言いました。
「ああ、そういえば、家を出発してから何も食べていなかったなぁ。それじゃひとつ、腹ごしらえを……」
アルマンがそう言いかけたとき、森の奥の方で茂みががさがさと不吉な音を立てました。
「こいつはちょっとまずそうだ。イタチかもしれないな。一刻も早く安全なところに移動しよう。食事はそれからだ。さぁ、コレット、元気を出して立ち上がるんだ」
アルマンに促され、コレットはのろのろと重そうに立ち上がりました。三匹はそれぞれ自分のリュックを背中に背負うと、とにもかくにも月を目指して再び歩き始めました。しかし、夜の森のあちこちでは不穏な気配がうごめき、まるで三匹を追い詰めようとしているかのようでした。
「まったくこれは問題だぞ。すっかり我々のテリトリーから外れてしまっている。これでは勝手がつかめない」
アルマンは冷や汗をかきながら、周囲の物音にいちいち反応しては不安な表情を見せました。一方、昼間とは打って変わり、ジェラルドは元気いっぱいに、ともすればアルマンの前に飛び出しそうな勢いで歩いていました。
「お父さん、冒険には危険がつきものなんでしょ? ぼく、ちっとも怖くないよ」
「それは頼もしい……。しかしジェラルド、すっかり元気になったね。きみもそう思わないかい、コレット? うんうん、いやなに、元来我々は夜行性だからね、それも当然といえば当然なわけで……」
アルマンは不安な気持ちを奮い立たせようと、しきりにおしゃべりを続けましたが、コレットは相変わらず心を置き忘れたかのように、とぼとぼとアルマンの後をついて歩いていました。
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